アフリカン・ソルジャー

ベトナム戦争映画ではないですが、非常に考えさせられる内容でしたので紹介します。
『アフリカン・ソルジャー』2008年ドイツ、オーストリア作品ですが
発売が彩プロなのでジャケットと邦題は真実から歪められてますww

原題は『FEUERHERZ(Heart of Fire)』


エリトリア内戦に巻き込まれる少女の話なのですが
主人公アウェトを演じるレテキダン・ミカエルの演技力には志田未来も霞むほどですw
AKを連射する姿にはグッときます。


すごいザックリした映画なので歴史背景とかなんで子供が銃を持たなければならないのか
という理由は一切排除してザクザク物語が進行していきます。
最後は砂漠を抜けてスーダンにたどり着き、「今でもヨーロッパで生きてます」
というナレーションで終わるのですが、調べたところ
ドイツ在住のシンガー、セナイト・メハリ(Senait Mehari)の自叙伝からの映画らしいです。
ガン・マニア的にはおびただしいAK47とジープにくくりつけられているMG42が見所ですw

アフリカだけでなく昔から子供が戦争に巻き込まれるケースは多々あり
予科練や少年戦車兵、ヒトラー・ユーゲントなど組織として形成されていました。

そもそもボーイスカウトも「少年の斥候兵」という意味ですから
(第一次世界大戦後に方向性を改めてます)戦争への少年、少女の従属は昔からあった訳です。
ベトナム戦争でも多数の少年、少女が戦争に巻き込まれています

(写真はタンソンニュットで撮影された12歳のARVN兵士)
私たちがマリオの裏技覚えてる年齢で銃の撃ち方、
人の殺し方を覚えさせられるのですから恐ろしいです…。

未だに全世界でこども兵士は30万人いると報告されています。
たまたま、その国に生まれてしまったばかりに戦争に巻き込まれる子供達。
非常に考えさせられる映画でした。   

2010年02月08日 Posted by ベトベト実行委員会  at 15:51Comments(2)TrackBack(0)雑感

ギグバンド


画像提供 WARRIORS-blog.
ベトベトの入場時に料金と引き換えにお渡しするのが、ベトベトのロゴマークの入ったリストバンド。
このリストバンドはギグバンドという商品名なのですが、
ベトベトを有料イベントにする時に何か良いものはないかと探していた時に見つけました。
アホカリ(MVG)だと医療用のリストバンドだったり、
クラブイベントだと手の甲にスタンプを押したりしますよね。

当初はベトナム戦争らしさを出す為にタトゥーシールも考えたのですが
貼るのが面倒なので没。そんな時に見つけたのがギグバンド。
紙製なのですが巻いた事のある人はお判りのように異常なまでに丈夫。
恐らく素手で引きちぎるのは大山総裁しか無理だと思いますw
付けっ放しでお風呂に入っても印刷の文字が消えませんから野外イベントでは持って来いですね。

実はこのギグバンドを制作している有限会社エーエムピーのサイトで
お客様訪問企画なるものがあり
4月のベトベトに取材に来てくれるそうですww
他に紹介されているのが、クラブイベントだったりライブイベントなので異彩を放ってますが
イベントの告知もしてくれてます

エアガン雑誌ではベトナム戦争はあまり人気がないようでなかなか取材してくれませんが、
一般の会社から見たら面白いんでしょうねww

  

2010年01月29日 Posted by ベトベト実行委員会  at 18:48Comments(0)TrackBack(0)ベトベトした情報

黙祷について考える

ベトベトしま戦か?では開会式で全ての戦争及び紛争での戦死者、犠牲者に対し黙祷を捧げます。
ポーズだと思われている方もいると思うのですが、
ベトベトの一つの目標として終わった後に「戦争って嫌だな」と思ってほしいのです。


戦争ゴッコやってるのに何言ってんだ?と思われるかも知れませんが、
ベトナム戦争の歴史や装備を勉強しているからこそ、戦争の悲惨さを理解できると思います。

戦闘シーンを見て格好良い!と思うのは男性なら誰でも一度は思う事でしょう。
戦争映画やテレビ、ゲームなど格好良い戦闘シーンは憧れます。
サバイバルゲームなどでも激しい戦闘が無ければ退屈に感じるでしょう。

しかし、ワントリガーで200発以上の弾が撃てる銃を持ち、当っても血も出ず死ぬ事もなく、
仲間が撃たれても何の感情もなく、1ゲームが終了すれば全てリセットできる。
そこには現実味がありません。

ベトナム戦争では戦闘によって命を落としたのは
1961年以降の戦死者数
アメリカ:戦死56、096人、戦傷303、457人、行方不明1、743人、捕虜587人
南ベトナム:戦死220、357人、戦傷726、576人
北ベトナム:戦死911、499人、戦傷不明
南北民間人:死亡103万人、負傷300万人以上
ベトナム人の総死亡数は、約210万人以上。当時のベトナムの総人口が約4200万人ですから
20人に1人が死に、5人に1人は負傷している計算です。
ベトナム戦争中に落とされた爆弾の量はベトナム人6人に1トンにあたる程です。

休みたくても休憩もなく、ヒルに喰われながら何十キロもの荷物を持たされ、雨の中泥だらけで眠り、
どこから来るか判らない敵に脅え、一緒に行動していた仲間が仕掛け罠で足ふっ飛ばされ、
助けに行ったはずの国民に殺される。

ベトナム戦争に32万人を派兵したアメリカでも57万人もの徴兵逃れをした若者がいますが、
ベトナムに生まれれば逃げる訳にはいきません。
その時代、その場所に生まれてしまったら自分の意識とは無関係に戦争に巻き込まれてしまうのです。

生れた時から戦火に晒され、北に行っても南に行っても搾取され続け、
12年間で200回以上のクーデターに脅え、先祖から受け継いだ土地から強制的に移動されたり、
親兄弟が別れて殺しあう…
そんな事を喜んでやる人はいないと思います。

頭の中では戦争は嫌な物と理解しているでしょうが
何故、戦争と言う名のもとに公然と殺し合いが認められたのか、
どんな気持ちで人を撃つのか、目の前で仲間が殺されたらどう思うのか、
そんな事を考えもせず「戦争反対」と言うのは簡単です。

今でも世界中のどこかで戦争や紛争は絶えず行われ、
善悪の区別もつかない年端もいかない子供までもが
銃や爆弾を持ち命を奪ったり奪われたりしています。
ヒストリカルイベントだからこそ嫌な部分を疑似体験する事により、
戦争って嫌なものだと少しでも理解できればと思っています。

何の因果かベトナム戦争に興味を持ち、軍装を集め、
戦争の疑似体験にわざわざ泊りがけで集まっても
カッコいい!面白い!楽しい!だけではテレビゲームと同じです。

参加して楽しんで貰いたいですが、楽しむ以上に
戦争における辛さ、虚しさ、悲しさ、死、そして生きる喜びを感じられるイベントにするのが目標です。

勿論、その欠片ほどしか感じる事はできないと思いますが、欠片ほどでも
戦争の嫌な部分を“疑似”体験し戦争行為の愚かさを少しでも理解する為、
二度と同じ過ちを繰り返さないよう、紛争、戦争での犠牲者に追悼と敬意を表し、
今の日本が平和である事を感謝するイベントにできればとの想いで黙祷を捧げています。  

2010年01月26日 Posted by ベトベト実行委員会  at 02:16Comments(6)TrackBack(0)ベトナム戦争の歴史

New Years World Rock Festival

先日、フジテレビで放送されていた37th New Years World Rock Festival
最初の10分以上、裕也さんがスカイダイビングしたり杖もってウロウロしてる映像が
ダラダラ流れていたので、ついに裕也さん死去か!と思ったら無事でしたww
いつからなのか判りませんがニューイヤーズ“ワールド”ロックフェスティバルと名前が変わっていて
上海、ソウル、ロス、ニューオリンズ、トロントで同時開催と大きなイベントになってたんですね。
今は亡き浅草常盤座でやっている時に見に行った事があるのですが、
あれから20年経っているのに何も変わらないのは感動すら覚えますw

と、感傷に浸りながら見ていたら見覚えのある尻が!

ベトベト9の前夜祭に出てくれたmomoさんでしたw
HIP-HOPバンドのバックダンサーとして登場してました。
その後、数年前のアホカリの前夜祭に出てたME-ISMが出てきたりと
ベトナム戦争とは切り離せないイベントなようですw

素敵なお尻はノーカットでDVDに収録してますので未見の方は
是非お買い求め下さい!

私も若かりし頃にロックバンドをやっていたのですが、ROCKを日本人がやるにあたって
ぶち当たる問題が英語。
RockとLockの発音も定かでない人が金髪にしたところで
オランダ人が演歌歌ってるのと同じ違和感を覚えるはずです。

ヒストリカルイベントも同じ問題があります。
日本人のみで演じるベトナム戦争。日本人のみで演じるヨーロッパ戦線。
逆にアメリカのイベントでの黒人の日本兵や金髪碧眼のベトコン。

では、何故日本にロックが根付いたのでしょう。
裕也さんを見て思いました。やり続ける事なんですね。
“Rock'n Roll”を“ロッケンロール”になるまで演奏し続ければ
自分の血となり肉となる訳です。

内田裕也がロックを日本に広めようとしてから50年近く。
日本のリエナクトイベントが96年のアホカリからとしたら
(それ以前のイベントがありましたら不勉強ですので済みません)
まだ14年。ベトベトなんてやっと5年ですから、あと10倍w
まだまだロッケンロールまでの道のりは長いですね!  

2010年01月13日 Posted by ベトベト実行委員会  at 02:55Comments(6)TrackBack(0)雑感

明けましてベトベト!


明けましておめでとうございます。
本年も倍旧のお引き立ての程宜しくお願い申し上げます。

と言ってもベトナム的にはお正月はまだです。
ベトナムでは旧暦を使ってますので2010年の正月は2月14日が元旦にあたります。
この前後は全く機能しなくなりますのでベトナム行きを考えてる方はご注意ください。
ちなみにこのニュー・イヤー・カードは加工したものですから信じないで下さいねww

さて今年のベトベトしま戦か?は
4月10日11日の第10戦はベトナム戦争終結35周年&10回記念。
10月9日10日の第11戦は5周年記念大会とめでたいこと尽くしでお届けします。
石の上にも三年といいますが、くだらない事も五年ですねww

それでは本年もベトベトっと突き進んでいきたいと思いますので
宜しくお願い致します!

平成22年正月
ベトベト実行委員会  

2010年01月02日 Posted by ベトベト実行委員会  at 23:42Comments(1)TrackBack(0)ベトベトした情報

星条旗新聞

スターズ&ストライプス米軍発行の機関誌です。
MMCのサイトをご覧頂いている方々にはお馴染みですが、
新聞的にイベントの模様を紹介しているのが星条旗新聞というコンテンツなんです。

当初はサバイバルゲームでのコスプレ的画像も紹介していたので月に2本くらい発刊していたのですが、
ここ数年はサバイバルゲームやってませんのでベトベトや他のナム戦イベントに参加した時だけ発刊しています。
この新聞形式なのですが、私が中学生の時に授業の一環としてクラブ活動というものがありました
(部活動とは別)私は『歴史新聞クラブ』というクラブに参加していたのですが
歴史上の事件を新聞風にまとめて発表するという活動をおこなっていました。
他のクラブ員は戦国時代などをまとめていたのですが、右寄り中学生でした私は
太平洋戦争の架空歴史(ミッドウェー海戦デ連合艦隊圧勝セリ!)などを発表していました。
これが元になっているのですが、
今思えばこの歴史新聞クラブが私のミリタリーイベントへの入り口だったような気がしますw

顧問の石橋先生はいまでも千葉県のどこかで教鞭をとっているようですので
お子様が在籍する中学校に社会科の石橋先生がいらっしゃいましたらお礼を言っておいて下さいw

さて今回はベトベトから遅れる事2カ月!やっと発刊の運びとなりました。写真はITHACAさん撮影のものです。
それでは素晴らしい写真と適当なキャプションを楽しんで下さいw
MMC星条旗新聞  

2009年12月19日 Posted by ベトベト実行委員会  at 15:31Comments(0)TrackBack(0)ベトベトした情報

ベトベトした忘年会

先日のヴィクトリーショーでは多数の方々にベトベトDVD
『Ho Chi Minh is DEAD』をお買い上げ頂きありがとうございました!
次回のVショーにも持って行きますので買い忘れた方は宜しくお願いします。
通信販売ベトベトショッピングでもお買い求め頂けます。
さて、その前日の土曜日にベトベトした忘年会をしてきました。

場所は勿論、四つ木のミリタリー・バー『ヘッドショット』
狂人一歩手前のベトベトした人達を温かく出迎えて頂きありがとうございましたw

店に入るなり着替えはじめてスミマセンww
店内にはACUを着た普通のミリタリーマニアのお客様もいらしたのですが
常軌を逸したベトベトマニアがご迷惑をかけなかったか心配ですw
店内のモニターをお借りして『Ho Chi Minh is DEAD』のプレミアム試写会を行ったのですが
普通のミリタリーマニアの方にも喜んで(驚いて)もらえたようで良かったですw
『ヘッドショット』に一本置いてきましたので興味のある方はマスターに見せてもらって下さいw

忘年会ではベトベト10への尽きない妄想話が繰り広げられ飲んで喰って騒いでと大変でした

未来銃で対空射撃をおこなう北の二人組w
MMCのメンバーの他にも悪徳将校のchi大佐、北ベトナム正規軍を率いるヴィン中尉、
コンクリートゲリラから太ったベトコンぽっちゃり美青年のホ~おじさんとマー君、
MPでも活躍してくれたSAITAMA101、カルビ村村長のボンちゃん、
ジハード団からボスさん(ミス・サイゴンと子供爆弾のお父さんw)、いつも捕虜になるLRRPの人
とベトベトした名優達が多数来て頂き第10戦に向けあーでもないこーでもないと
良い大人が一生懸命くだらない話をしていましたwww

この恐ろしい酒宴は場所を変え朝の4時まで続きました。
もちろん次の日の朝は元気一杯で都産貿に向かいましたとさw
また来年もやりますので皆さんも参加して下さい。
  

2009年12月17日 Posted by ベトベト実行委員会  at 03:16Comments(0)TrackBack(0)ベトベトした裏話

発売開始!

ベトベトしま戦か?第9戦の模様をストーリー仕立てにした
自主制作ビデオ『Ho Chi Minh is DEAD』がめでたく完成しました。
ジャケットだけみると彩プロみたいですがwww

コンツム近くの小さな村に住むリンという少女の手記をもとに不惑悠監督が描く一大虚編!
ホー主席の死をきっかけに一大作戦「Ho Chi Minh is DEAD」が発令される。
しかし、家族を人質に捕られた現地スパイ、ロンによる裏切り!
裏をかかれた米越合同師団とNVA、VCとの熾烈な戦い!
仲間を助ける為激戦地に身を投じる勇気ある兵士達の友情!
同国人のため立ち上がるchi大佐の運命は!
そしてラストシーンは涙なくして見れません!
…と大盛りであらすじを書いておきますww


12月13日(日)浜松町東京都産業貿易センター5階で開催される第55回ヴィクトリーショーで先行販売します。
定価1,980円のところVショー特価で販売致しますので是非お買い求め下さい!
ブースはOブロック174のコグレです。コグレというのは何を隠そうMMC書記長の本名ww
新鮮なナム物を販売していますので是非お立ち寄り下さい!

ベトベトしたDVD通信販売はこちら!  

2009年12月10日 Posted by ベトベト実行委員会  at 16:35Comments(5)TrackBack(0)ベトベトした情報

年忘れはヘッドショットで

いよいよ、世の中全般的に忘年会シーズンですね!
ベトナム的には旧暦ですので来年は2/14がお正月ですから
1月にやるのが正式なのでしょうが
日本生まれ日本育ちのベトベトは伝統に乗っ取り12月に忘年会やります。
毎年、変わった居酒屋を探して忘年会をやっているのですが、
昨年はネタ切れでアラビア風居酒屋で開催とベトナム的風味が全くなくなってしまったので
今年は原点回帰してミリタリー・バー『ヘッドショット』で開催します。

日時:12月12日(土)19:00~
至 :葛飾区四つ木 ミリタリー・バー“HEAD SHOT ”
料金:3,500円(飲み放題フード付き)



こんな素敵なミリタリー・バーでベトベトした忘年会をしませんか?
今のところネズミっ子クラブの面々の他によく捕虜になるLRRPの分隊長、chi大佐。
確定ではないですが、ヴィン中尉、やみかるとさんの参加も予定されてますw

翌日のVショーで発売開始する『Ho Chi Minh is DEAD』のプレミアム試写会も行う予定!
ベトベトした忘年会に参加したい!と思う物好きな方は12/7までに
お名前と連絡先、人数を書いてメールして下さい!  

2009年11月28日 Posted by ベトベト実行委員会  at 02:23Comments(5)TrackBack(0)ベトベトした情報

グリンベレー


1968年公開のジョン・ウェイン監督・主演作品です。
68年ですから思いっきり反戦運動が盛んになってきている時期に制作された
ペンタゴン、米陸軍全面協力のまさに戦争国策映画。
先日お亡くなりになった(間違えました。最近、結婚したんでした。男性と…)古くはスタートレックのミスターカトー、
最近だとHEROESのナカムラ(マシ・オカ)のお父さん役で有名な
ジョージ・タケイもニム大尉役で出演しています。
この映画、戦意高揚ための駄作だ!とか散々叩かれてますし
実際、反戦運動が盛んだったので興行収入的にも失敗だったそうです。
しかし!『戦場』と並んで南ベトナム人が活躍する映画なので
南ベ萌えの方にはバイブルと言っても過言ではないはずw

アメリカ映画に良く出てくるチョビヒゲ生やしたずる賢いベトナム人ではないので
ニム大尉、LLDBのカイ大佐、そしてトムチャンクと素敵なベトナム人が活躍します。

ストーリーはジョン・ウェイン演ずるカービー大佐が
激戦区ダナン近郊の“キャンプサボイ”へ赴きキャンプ再建のために戦います。
怪我を治してあげた山岳民族は悪いヴェトコンに襲われ皆殺しに!
キャンプサボイも夜襲を受け、壊滅状態に陥りますがガンシップの機銃掃射で助かります。
北の要人を誘拐するため、カイ大佐の弟の妻を(ややこしい)囮にして潜入。
首尾よく誘拐した後は風船につけて飛行機でかっさらう荒業を披露します。
その後ヘリが落ちたのに死なない不死身なカービー大佐の活躍で
キャンプサボイを奪還しますが、ほとんどの部下は死んでしまいます。
ラストは夕日の滑走路でトムチャンクにグリンベレーを被せ
「俺たちは君達の未来のために戦っているんだ」
とカッコいい台詞で締めくくる
西部劇+スパイ大作戦みたいな感じですが

山岳民族の保護、要人の誘拐、基地の防衛とまるでベトベトで起きる事と同じ!
しかもキャンプの名前がサボイですから判る人は判りますよねww

この映画の良い所は判りやすさ。
判りやすさと言ってもドカーンボカーンだけでなく
複雑なベトナム戦争を判りやすく描いているのでベトナム戦争とは何ぞや?
と尋ねられた時には黙って『グリンベレー』を手渡して下さい。
そして死んだ時に語呂のよい便所か通りか、駐車場の名前を考えていて下さいw  

2009年11月04日 Posted by ベトベト実行委員会  at 22:45Comments(7)TrackBack(0)ベトナム戦争映画

予告編トレイラー

ベトベトしま戦か?第9戦も無事に終了しました。

参加された出演者、出店者の方々お疲れ様でした!
更新がすげー空きましたが、ベト9の為に仕事も家庭も犠牲にしていたので
そのツケがまわって身動きが取れなくなってました。けっしてPTSDではありませんw

実は今回スチールカメラマンをムービー撮影にまわしたので画像がほとんどありませんw
画像お持ちの心優しい方は送って下さいw

今回は車両を持ってきて頂いた方も多く3台もジープがあり皆さん喜んで撮影していました
ベトベト史上最大人数となった南ベも喜んで記念撮影に興じていました。

ガラの悪い3人組は地回りではなくベトベトしたスタッフです。
キャンディーちゃん変身前と“笑う殺人鬼”顧問、そしてボスです。
右側の人がNGを連発して寝るのが遅くなったのは内緒ですwww


そんなベトベトしま戦か?第9戦の模様をストーリー仕立てにした
自主制作DVD『Ho chi minh is DEAD』予告編トレイラーです。
12月13日のVショーで発売できるよう編集してますが!間に合わなかったらゴメンナサイw


  

2009年10月27日 Posted by ベトベト実行委員会  at 10:23Comments(0)TrackBack(0)ベトベトした情報

ベトベトへの道⑧

今回の台風も凄かったですが、台風と言えば忘れられないのが第5戦です。

ヒストリカル色を強めた第4戦も無事に終わりました。
2007年はナム戦イベントが多く4月にベトベト。6月にビレッジ1でリアルカウントNAM戦。
8月にアホカリ改めMVG2007が行われ、あっという間に10月のベトベトでした。
ベトベトも第4戦は第3戦でヒストリカル色を強めたので参加人数が減りましたが、
逆にサバゲ色を払拭したのが良かったのか、
第5戦の参戦表明は初の200人越えの202人!

2ヵ月おきにナム戦イベントが行われる好条件の中、準備も着々と進行しました。
第5戦ではシナリオを導入する予定でした。

そして当日を迎えましたが、神の怒りか台風が関東直撃するのです。
その前週にも台風がきており河川敷が水没していたのは確認していたのですが
土曜日に訪れると水は引いていましたが驚くほどの木くずが!
細かな枝がびっしり橋げたの下を覆い、通常駐車スペースに使っていた部分には
山のように積み上げられた枝で埋め尽くされています。
南側CPをおいていた橋げたの下は爆撃でもあったかのように
キレーに枝とゴミで覆いつくされています。
中に入ろうとすると底なし沼にようにゴミの中に吸い込まれる恐怖!
あきらめました…ww

米軍キャンプは普段開会式をおこなう土手に広げる事を決め、
とりあえず雨足も強くなってきたので
(土曜日の夜に関東上陸の予定でした)
前夜祭の準備に取り掛かりました。タープとテントで雨をしのごうと思っていたのですが
河川敷ですから風が強すぎます。

急きょ反対側の土手に周りましたが、風は弱まりません。
すると強風が吹き荒れ、カッタケさんのスチールのタープが飴のようにグニャリと曲がってしまいました…

自然の猛威に感嘆し、
橋げたの下にちょっとしたスペースを発見したのでそこをブルーシートで覆い、
安住の地を見つけました。やっと一安心し、キャンプ道具を広げます。
我々には安住の地ですが、傍から見ればホームレスに見えた事でしょうwww

仙台から来ているHTHCさんと合流し、台風の中やってきた草加支隊の方も加わり
どんどん強くなる雨と風の中、わざわざ台風の中でキチ〇イの宴は続くのでしたww
明日みんな来てくれるのか心配だったので
携帯から掲示板に大丈夫ですよと書き込もうと思い、
掲示板を除くと、相次ぐキャンセルが…。まぁ台風ですからねww
しかし!
台風だろうが雨だろうが関係ない強靭(狂人)な心を持った漢達は翌朝162名も集まるのでしたw

翌朝フィールドのチェックと北側本部の設営を行い、弾速測定と開会式を終えると、
参加者達は北と南へ判れていきました。
今までは橋げたの下でしたが、今回は100人超が有料道路から丸見えの土手にキャンプを広げてます。
分隊分けを行っていると北側にいるリーダーと顧問からひっきりなしに無線が入ります。
 「フィールドが川なんですけど」
『そんなの河川敷なんだから川にきまってるでしょ』
「いや、水が凄いんですよ」
『戦争だから仕方ないよww水くらいでビビんないでよ!』
「北側の本部まで行けないんですよ」
『だから水の中あるけばイイでしょ!また橋つくればいいじゃん!』
「橋作るってレベルじゃねーぞ!」

前にも水浸しになった事があるのでこの時は
どうせ膝くらいまで水があるから文句言ってるんだろう位にしか思ってませんでした。
しかし自体は深刻でしたwwww


普段使っていたフィールドは完全に水没。
朝設置した北側本部は見事に水に飲まれ、
用意しておいた赤ちゃんの人形も流されてしまいましたwww

どうやら本部を設置して開会式をやっていた2時間の間に利根川の上流で放水したようです。
考えていたシナリオも下のフィールドで考えていたのでまさに水泡と帰してしまいましたww

しかし、そんな事を確認する暇もなく第3の刺客が…

国家権力が通報によってご到着されましたww
まだ分隊分けして作戦を始めようかと思っているクソ忙しい時に来るんですから
タイミング悪すぎます。
右翼が訓練してると通報があったそうですが、暇な人もいるもんですねww
「あー何?サバゲ?」
『いえ、ベトナム戦争です』
「ベトナム戦争?」
『ベトナム戦争は北ベトナムと南ベトナムの内戦に1965年にアメリカが介入する事によって
拡大し、以後10年間にわたる戦争の事です』
と丁寧にベトナム戦争を説明差し上げると、狂人を見るかのような目つきで
「怪我とか火事に気を付けてね」
と言って国家権力様は立ち去られましたww

やっと戦闘を始められましたw
とりあえずシナリオもクソもなくなってしまったのでサーチ&デストロイで進行させます。

第5戦に導入したのがヘリルール。と言っても電車ごっこの要領で紐でくくるだけですけどw
本当はLZ(ランディングゾーン)を確立したら着陸できる予定でしたが、
LZを作る場所も定かでないので基本的に置き去りww
数々の部隊がヘリが着陸するのを待った待ち伏せでベトナムの土となってしまいました…

しかし、北側を驚愕させたのがラストの最終突撃。
着々と上がる水位にビビり普段より1時間早く最終突撃に持ち込んだのですが
時間短縮の為、チヌーク4台に乗り込ませた米軍100名以上を一気に北側陣地に送り込みましたw

南側から見てても圧巻でした
『突撃!』の合図とともに一気呵成になだれ込みます。

まさに蹂躙!レ〇プ!

と、台風&水没&国家権力とトラブル続きでしたが、無事に怪我もなく終了しました。
でも、開始時刻があと1時間早かったら2、3人は水に流されてたかも知れませんwww

自然の猛威には勝てないんですね。
今回の台風18号の被害に遭われた方にお見舞いを申し上げます。

さて、台風一過!連休は秋晴れが続くそうですから安心して遊び尽くしましょう!
それでは10日、11日はベトナムでお会いしましょう!!  

2009年10月08日 Posted by ベトベト実行委員会  at 15:16Comments(2)TrackBack(0)ベトベトした裏話

いよいよ来週だYO!

いよいよ一週間後に迫ったベトベトしま戦か?第9戦。
申込みをされた方は準備に余念がないと思います。
前回、混乱を招いたのが作戦地図。エリア51の既存のものに手をくわえただけ
でしたので全然、合ってませんでしたwww

8/2のブログで書いた通り、SSGAさんの協力の下
測量に行き正確な地図を作製してもらいました!

ベトベト公式サイトからダウンロードできます。
これで第1歩兵師団のアレックスさんのブログに文句を書かれずに済むでしょうww

そしてゲーム参加も締切り、出演チームも確定しました。
南側108名、北側62名がエントリー。
北は長岡、南は広島から熱いNAM心をもった兄弟達が集まります!
京都からは、南べやらしたら再現度は日本一と思われるCLUB BREEN
さらにデューク大佐率いるアーミー・オブ・ザ・スタリオンが参戦と大物チームが出演決定!
そして今回の目玉は南べの多さ。
25師団でお馴染みINTER MEZZOが南ベレインジャーで登場。RVN'SもSTDで戦闘参加と
いつになく力強い南ベが見られる事でしょう!

北側も負けてません。
ヴィン中尉を始めとする北ベトナム正規軍。
血糊でおなじみジハード団は子供爆弾が増殖中!
中野ブロードウェイ軍団は一気に戦力増加の10名。
と総勢62名でキャンプサボイの陥落を狙います。
新兵器RPG7も数台用意されているのが確認できていますので
APCに乗っていても安心できません!いやむしろ危険かもww

そしてお馴染みサイゴン闇市場もベトべト価格で出品してくれるお店が目白押し!
八玉商会、CHI商店をはじめBig outも初出店。
もちろん暴力屋台の第四地区も生春巻き他ベトナム料理でお待ちしてますが、逆十字には気を付けて下さいww

とディズニーランド並みの楽しさで皆さんをお待ちしています!
しかし!ボーっと参加するだけではベトベトできません。ベトベト地区に入ったら参加者ではありません出演者です。
皆さん一人一人が監督兼主演です。
周りの人々はもちろん、参加していない人まで楽しませるよう貴方のベトナム戦争を表現して下さい!

天気が少し心配ですが金曜までに台風が通過するよう皆でお祈りしましょう。
もちろん雨でも戦争なので関係ないですけどねww サランラップと替えのパンツは忘れずにw
それでは10月10日11日は千葉のベトナムの空の下でお会い致しましょう!  

2009年10月04日 Posted by ベトベト実行委員会  at 16:38Comments(7)TrackBack(0)ベトベトした情報

ベトベトしたダンサー決定!

いよいよ10日後に迫ったベトベト9!
日曜日のコンバットゲームはもちろん気合入れてくれないと困りますが、
前夜祭でも皆さんに楽しんで頂こうと画策しています。

まずは、DJボブの愉快な司会による『ミス・サイゴン コンテスト』を開催します。
美しさを競うのではなく、ベトナム人らしいかを競うコンテストなので
優勝しても喜べませんが…ww 商品は用意しておきますので
化粧によりを掛けてステージへ上がって下さいw

そして飢えた野郎共のオアシス!ダンサーが決定しました。
アーティストのバックダンサーなどで活躍するmomo率いるSexy☆Soldier

都内イベントなどで活躍するGoGoダンサー、Asaco率いるNY.GoGo Dolls

二組ともベトベトのポリシー“くだらない事を一生懸命”に賛同してくれた
熱いダンス魂を持ったユニット。
ベトベトの異常な趣旨を説明すると
「それだけ熱い人達が集まるなら私達も気合入りますね!」と
普段よりも二倍の気合を入れて(当社比)踊ってくれるそうですから
見る側も気合入れて望みましょう!
今回は18禁はやりませんので老若男女が楽しめるステージになる予定ですが、
暴走したらゴメンなさいwww

司会はNY一のポン引き“スポーツ”マシューが登場。果たしてアイリスの行方は!
  

2009年10月01日 Posted by ベトベト実行委員会  at 19:13Comments(2)TrackBack(0)ベトベトした情報

ベトベト9直前情報!

残すところあと17日となったベトベト9ですが、お申込みはお済でしょうか?
申込み締め切りまで、あと10日ですのでお早めにお申込み下さい。

概要にダウンロードアイテムとして共和国通行証とプレスカードを追加しました。
共和国にお住まいの方は通行証があれば安全にベトベト地区を通行する事が出来ますので
プリントアウトのうえ持ち歩いて下さい。(現地では配布しません)
各国ジャーナリストの皆様も前回カメラマンが拿捕され、2時間に渡り拘束される事件が起きておりますので
MACV発行のプレスカードを持ち歩いて下さい。

今回もいつも通り微妙にルール変更と追加事項がありますw

報道規制ですが、戦闘シーンにそぐわないカメラは規制対象となります。
特に小型ムービーカメラは目立ちますので
ショルダータイプの張りぼてや、銃の体側にくくり付ける等
それらしく見えるように工夫をお願いします。
スチールカメラも一眼タイプでしたら首からぶら下げていても構いませんが
コンパクトタイプのカメラは撮影したらすぐしまうようにお願い致します。
携帯カメラ、コンパクトカメラ、小型ムービーは作戦終了後に撮影タイムを設けますので
フィールド内では作戦終了まで人目に付かないようにして下さい。

死体ですが、血糊付きデッドマーカーを使用します。
ベトベトに何か足りないと思っていたら血でしたw
死んだら(2回被弾したら)顔なり体なり血の付いた包帯をまいて転げて下さい。
そしてバンバン血を噴いて下さい。
エリア51には温水シャワーがありますから血まみれになっても
帰りに職質の心配はありませんねw
ちなみにトマトジュースにコーヒーゼリー混ぜると簡単に血が出来ます。
血糊付きデッドマーカーは八玉商会から100円で売り出すそうです。

折角、血が出るので今回から野戦病院を設けます。
分隊長の報告だけで死体はほっぱらかしていましたが、
今回から帰還後はちゃんと病院まで搬送して下さいw
真っ白なシーツと暖かい食事。綺麗なナースの特別サービスはありません…
野戦病院用のGIコットが足りませんので貸して頂ける方は当日申し出て下さい。

ビレッジ1様のご好意により小型トラックを貸して頂けますのでAPCとして運用します。
土曜日に段ボールを使って制作しますので皆さんお手伝いして下さい。
北側の皆さんは攻撃する方法で胸を膨らませているようですが、作る時も手伝って下さいw

シューティンググラスとリアルカウントマガジンですがあくまでも推奨です、
強制ではありません。曇るからメッシュが良いという方や怪我の心配のある方は
フェイスガードなど自己判断でお願いします。
リアルカウントマガジンも別に無理に揃える必要はありません。
(出撃時の携行弾数200発に変更はありません)

前回好評でした慰問ショーもまたまたSEXYなダンサーを取り揃えてます!
(さすがに外人は呼べませんww)
今回は18禁ショーにはしませんのでご家族連れでも安心してご覧になれますww
ミス・サイゴンコンテスト、ビール早飲みトーナメントも行いますから
皆さんステージ前に陣取って下さい!
両日でも日曜のみでも3,000円ですから土曜日の18時までに来ないと勿体無いですよ!  

2009年09月23日 Posted by ベトベト実行委員会  at 17:57Comments(0)TrackBack(0)ベトベトした情報

Xin chao!

代々木公園で行われた「ベトナムフェスティバル2009」に細君と行ってきました。
昨年は終了した後に気がついたので一年間楽しみにしてたんです。

日本中のベトナム人とベトナムを愛する人達が集まるのかと期待に胸が張り裂けそうに
なって代々木公園に到着すると、ただの物産展…
ベトナム料理屋が立ち並んでいますが、どこも殆どメニューが一緒wwwそりゃそうですよね。
チラホラとアオザイの女の子はいますが、日本人ばっかでしたw
途中で合流したデカ面カメラマンは喜々としてアオザイの子を撮影してました。



333(ビール)を飲みながら、春巻きやフォーを食べてお腹一杯になってしまったので
最後に記念撮影して代々木公園を後にしました。


折角、代々木まで出てきたので暫らく会ってないドギーズのN瀬さんのお店
池尻大橋のバー「DRAGON SOUL」
を襲撃!久しぶりに会ったN瀬さんはのりピーの旦那さんみたいになっていましたが…w

実はMMCを作ろうと思ったのはドギーズさんの影響なんです。
かっこいいサイトと75thレンジャーで揃えたドギーズを見て「うわ~こう言う悪い大人になろう」と思ったもんですw

ここで覚醒したのが細君。
N瀬さんの奥さんの応援もあり、ナム戦愛好家の妻の苦悩をぶちまけ大盛り上がりでしたww
バー「DRAGON SOUL」は日、祝の店休以外は19:00~3:00まで営業してます!
オシャレな店内と素敵なSoul music。美味しいフードも充実してますので、
是非お近くに立ち寄られたら遊びに行ってみて下さい!  

2009年09月21日 Posted by ベトベト実行委員会  at 13:38Comments(2)TrackBack(0)ベトベトした情報

ベトベトへの道⑦

ベトベト3戦が終わり、年末恒例のネズミっ子だらけのお泊り会が終わって
年を越したらベトベト4戦でした。
ベトベトへの道⑥を書いていて思い出したのですがベトベト3戦で参加者が急に増えたのは
コンバットマガジンとアームズマガジンが掲載してくれたからでしたw
続くベトベト4戦では158名の参加者を迎えて行いました。
第4戦は2007年4月22日に行ったのですが、4月7日に三島軍曹こと
三島Bobroskie瑞穂氏がお亡くなりになりました。
ここを読んでいる方に三島軍曹をご存知ない方はあまりいないと思うのですが
ヴェトナム戦争米軍軍装ガイド の翻訳やアホカリにも来て頂いた元アメリカ陸軍曹長、米特殊作戦陸軍グリーンベレーに所属していた猛者でした。

開会式でバドワイザーで献杯しようと思ったのですが、車で来る人に主催者から
お酒出すのもどうかと思いやりませんでしたが、前夜祭では故人を偲び飲み明かしました。

ベトベトは戦争なので雨天決行なのですが
たしか第4戦の当日は降水確率60%!
降るかな~と思っていたのですが夜まで降らなかったです。
ここからベトベトは雨降らない伝説が続くのですww
雨は降りませんでしたがすっごい!強風でしたw
河川敷なのでモロに風の影響を受けるのでBB弾はコブラのサイコガンのように曲がってましたww

やっとヒストリカルゲームっぽくなってきたのが第4戦だと思います。
第3戦から南側は分隊毎の作戦行動をお願いしていたのですが
第4戦からは北側も分隊行動(北はすげーざっくりですがw)をお願いして行いました。

昼飯喰ってる時に襲撃されたり

死体は腐らないように石灰まいたり

第4戦でちょっと頑張ったのが農村の再現。
再現って言ってもホントに茅葺の家なんて建てられる訳ないですが
前回まで一つだった村をもう一つ増やしてサンチュ村と名づけました。
なんでカルビ村といい焼肉の名前なのか由来は判りませんw

毎回、守谷のジョイフル本田で備品を購入してたのですが、この時買ったのは鍬と大きな藁の束ww
必要な備品は皆で頭割りにしていたのでメンバーから総ブーイングを喰らいましたが、
僕の脳内の農村には必需品だったのですww

前日は何故かみんなで畑を耕し、そこら辺の雑草を植えて畑を作りました(翌日にはしおれてましたがww)
撃ちあいだけではなく、シュプレヒコールなどベトナム戦争の雰囲気を参加者の皆さんが工夫して演出していました。
今では定着しつつあるヴィン中尉とLRRPが捕虜になるシチュエーションですがたしか第4戦からだと思います。
この時捕虜となったLRRPの隊員は米軍が救出が遅れ一時間近く縛られていましたwww

最後は今ではお約束の最終突撃ですが、第4戦では良く見えるようにという理由で
南側のキャンプでもある橋げたの下で行う予定でした。
しかし、一つ問題が。
何故か、四駆がフィールド内に入ってきて本部テントの裏でバーベキューを始めたのです。
わざわざ、ゲームやってる所に来なくても良さそうなものですが、出てけ!とも言えませんから
やんわりと「今、ゲームやってるんで」と伝えると
『あ、大丈夫、大丈夫。ウチらもサバゲやるし当たっても文句言わないから』
と言うので夕方までには出て行くだろうと思っていましたが
出て行きませんw
しかたがないのでそのまま最終突撃を行う事にしましたw
さすがに襲撃される予定の本部テントの裏は危ないので、本部テントを移動して北側にGOサインを出します。
笛の音と共に突撃する北側、激しく撃ち込む南側。
爆弾を抱えて突撃する人まで現れ、橋げたの下はあっと言うまに死屍累々。

バーベキューしてた人はポカーンとしてましたwwww
サバゲじゃ人がいる所に突っ込むなんてしませんからね。
本部にいた数名でサバゲやってるのかと思ったら200人近い人間がゾロゾロ出てきて驚いた様子でしたw

さて、1ヶ月を切ったベトベト9!申込みがまだの方は早めに登録して下さいね!  

2009年09月16日 Posted by ベトベト実行委員会  at 17:36Comments(0)TrackBack(0)ベトベトした裏話

ベトナムとステンガン

最近発売になった中華ステンガン。購入した方もいらっしゃると思います。

(やさぐれさんも買ったみたいですよ|*゚ノロ゚)ヒソヒソ...)
最近の中華パワーは現用は良く判らない銃がいっぱいあるし
ステンやMP44、モーゼルKar98Kと日本では考えられないラインナップですが
なんでM-1カービンは出ないんですかね?大きな謎ですww

さて、北側のヴィン中尉がエチゴヤで買ったは良いけどベトナム戦争じゃ使えませんよね。
と、言う日記を書いていたのですが、
ステンガンと言えばナチスドイツに攻めまくられ国力がないイギリスが
町工場で女工達に作らせた銃ですから簡単に作れそうですよね。

実際、北ベトナムではトンプソンのコピーを作ってた位なのでステンガンのコピーがあっても
おかしくないと思い調べたのですが、

やっぱり使ってましたw
でも、NVA,NLFではなく75thレンジャーやSOGが、大戦中にOSS(アメリカ戦略諜報局)が開発した
アメリカライセンスのサイレンサー付きモデルをベトナムでも使用していたようです。

75thレンジャー

CCNのSOG

CIDG(多分w)
まぁ使用例はあったみたいですが、ヒストリカル的に微妙ですねwww
ところでステンガンを探しててこんな画像を発見したんですが…

なんですか?この銃?
知ってる人いたら教えて下さい。  

2009年09月10日 Posted by ベトベト実行委員会  at 16:43Comments(5)TrackBack(0)ベトナム戦争装備

ベトナムに平和を!


実はベトベトは女性の参加者も多いのですが、基本的に米軍の戦闘部隊に女性はいません。
(ベトベトでは男らしければOKですがww)
ベトナム人なら基本的に南でも北でも大丈夫なのですが、
重い装備や鉄ヘルを被るのがイヤっ!という女性に人気なのがやはり北ベトナム&ヴェトコン。
NVAとVCでは女性でもガンガン前線に出て行って戦闘しますから史実的にもバッチリです。

北ベトナムでは戦意高揚の為に女性兵士の活躍を誇張して伝えたりしたそうです。
切手にもなった有名な写真です。

ここまで書いてて思い出したのですが、母の昔のアルバムをペラペラと眺めてました。
なんかモデルみたいな格好して気取ってる写真もあったりして母も女だったんだな~と思っていると
飛び込んで来たのはベトコンの写真!
いや、ベトコンのコスプレしている母の写真ではありませんか…
「何してんだ?」
と聞くと学園祭で反戦の劇をやった時の写真だそうですww
時は60年代末、全共闘と学生運動で盛り上がっていた時代ですからね
なんでもべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の集会に行ったり、あげくバリケード封鎖を見に行って
「催涙弾を打ち込まれて走って逃げたわ~催涙弾にはレモンが効くから、あんたも催涙弾打ち込まれたらレモン塗りなさい」
…今の催涙弾にはレモン効かないし、打ち込まれたら困るからっ!

皆さんもお父さんお母さんに70年頃の話を聞くと衝撃的な話が聞けるかもしれません!
「実はお父さん革マル派だったんだ…」なんて告白が聞けた方は聞かなかった事にして下さいw

って事でベトベトに参加する女性の皆さん!
前回、男性から大好評だったアオザイコンテストは第二回を開催致します!
是非ふるってご参加…というか見掛けたらステージへ強制連行しますので心の準備だけしておいて下さいw
  

2009年09月07日 Posted by ベトベト実行委員会  at 20:45Comments(3)TrackBack(0)ベトナム戦争の歴史

Ho Chi Minh is DEAD!

ちょっと過ぎてしまいましたが9月2日は、ベトナム独立の父ホー・チ・ミンの40回目の命日でした。
ベトナム戦争を知らない人でもサンタクロースみたいなヒゲを生やしたガリガリな人と言うイメージはあると思いますが、
享年79歳で現役バリバリでアメリカと戦っていた恐ろしい人物です。

21歳の時にフランス船のコックとしてヨーロッパ・アフリカ・アメリカ各地を点々とした事から彼の激動の人生が始まります。
国際的に名を知られるきっかけとなったのは1919年、ホーチミン29歳の時です。
ベルサイユ講和会議にグエン=アイクオック(阮愛国) という名で「安南人民の要求」を提出,一躍有名になりました。
その後、1930年、40歳の時には香港で行われたヴェトナム人共産主義者の諸グループ 統一のための会議上、
ヴェトナム共産党を結成,そののち南洋共産党の改組やシャム共産党の結成に関与します。
1941年には抗日戦争の為の組織「ベトナム独立同盟」(通称ベトミン)を組織して、
直ちに日本軍に対する武装闘争の準備に着手します。

1945年、日本の敗北が濃厚になるとホー・チ・ミンは総蜂起の指令を発し、
人民蜂起の末にフエの保大帝は「退位勅書」を発して退位を宣言します。
ここに阮朝は143年に及ぶ王朝支配に終止符を打つこととなりました。
そして9月2日、独立宣言を起草、ヴェトナム民主共和国の初代国家主席となります。ホー・チ・ミン55歳でした。

その後、第二次世界大戦の戦勝国、中国とフランスによりインドシナは統治されます。
後にフランスは上海仏租界や広州湾租借地を返還する換わりにインドシナの全権を掌握し
フランスは全インドシナに復帰します。
ホー・チ・ミンもフランスに渡り何度か会議を持ちますが、関係はどんどん悪化して
1946年12月に第一次インドシナ戦争が勃発します。
ベトミン軍は残留日本軍からの武器の譲渡や指導を受けており、
元日本軍将校、井川省少佐、中原光信少尉を教官としたクアンガイ陸軍中学を設立し、戦闘教育を施した兵士の育成などを行い第二次大戦初期の貧相な軍隊ではなくなっていました。
(その他、元大日本帝國軍人700人がベトミンとして戦っていましたが、1954年、北ベトナムがソ連、中国と接近すると元日本兵は邪魔になりベトナムから追放されます。
元々千数百人がベトナムに残っていたそうなので数百人は南ベトナムで生活していたようです)

当初、平野部では苦戦を強いられたベトミンですが、ジャングルなどのゲリラ戦では圧倒的な強さを誇り
ベトナム戦争時に名を馳せた仕掛け罠により殺す事無く障害を残す攻撃を加えます。
手足を切断されたり、今で言うPTSDに苦しむ帰還兵の姿にショックを受けた
フランス本国では1949年に本国軍徴集兵の海外派遣が禁止される法律が制定されます。
これによって以降は植民地やドイツ、イタリア人を中心とした外人部隊による戦闘になります。

またラッキーな事に1950年には朝鮮戦争が勃発し米ソ中各国は朝鮮半島に注目し、ベトナムに戦力を集中する事がなくなってしまいます。
フランスも第二次大戦で荒廃した本国の復興に忙しく、ベトナムまで手がまわりません。
アメリカに援助を求め資金の提供を求め、アメリカも400人程度の軍事顧問をベトナムに派遣します。
ここら辺からベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)の関わりがアメリカに生まれてきます。

1954年、有名なディエンビエンフーの戦いが起こります。フランス軍の戦死行方不明は2700名、負傷44000名。捕虜は1万人近く。ベトミン側の人的被害は、戦死7900名、負傷15000名といわれるこの戦いで
フランスはインドシナからの撤退を決意。1954年7月にジュネーブ協定に調印します。
ディエンビエンフーでフランスが窮地に追い込まれている時、時の副大統領ニクソンは
アイゼンハワー大統領に原爆投下(ハゲタカ作戦)を進言しますが、アイゼンハワーはフランス、イギリスの同意を得られなかった事で却下します。
ここで却下していなければベトナムは、世界で二番目の被爆国になる所でした。

このジュネーブ協定により、ベトミンは南ベトナム(17度線以南)からの撤退。
フランスはベトナム、カンボジア、ラオスの独立を認め、2年後に南北ベトナムの自由選挙を行うことを同意します。
1955年植民地からの解放を果たしたベトミン(ベトナム独立同盟会)は解散します。
この時ホー・チ・ミン64歳。私ならそろそろ隠居したいな~と思いますが、まだまだ血気盛んです。

1956年に行われるはずだった統一選挙は、ホー・チ・ミン人気に恐れた南ベトナム(アメリカ)は
選挙を拒否します。これによって共産主義者の指導する反政府暴動が南の各地で引きおこされるようになります。
約束を守らない南ベトナムに対し、北ベトナムは武力による南北統一を検討しはじめます。

その後は1964年にアメリカが直接介入をはじめ、皆さんご存知のベトナム戦争(第二次インドシナ戦争、抗米戦争)
が始まります。祖国統一を願ったホー・チ・ミンですが、1969年、ハノイの病院で心臓発作の為、志半ばでこの世を去ります。
当初は、独立記念日と建国の父であるホー・チ・ミンの死去日が同じでは不吉だということで、死去日を一日遅い9月3日としていました。
「山と河と人民はいつまでも残る。アメリカの侵略者が敗北したあとで十倍もより美しい国土を再建しよう」と言う
遺言が発表され国民は悲しみにくれました。

ホーチミンは革命活動の中で,集団主義を高く掲げ、個人主義を一掃しました。
これによって後継者争いなどは起こらず、
「独立と自由ほど尊いものはない」というホー大統領の教えを心に深く刻んで、我々は必ず米国を追い出し、傀儡政権を打倒する。
と言うスローガンの下、北ベトナムは更なる戦闘を続け、蟻が巨象を倒すかのごとく
1975年4月30日南ベトナムを倒し、念願の南北統一を果たします。
40年以上戦い続けたホー・チ・ミンは祖国の英雄として戦後サイゴンは改称されホー・チ・ミン市として
今も名を残しています。

と、立派な人な訳です。ベトベト9ではホー・チ・ミン死後40年という事で『Ho Chi Minh is DEAD!』という作戦コードで
行います。
どんな作戦か?それは参加するアナタ次第DEATH!m9っ`Д´) ビシッ!!   

2009年09月04日 Posted by ベトベト実行委員会  at 18:13Comments(2)TrackBack(0)ベトベトした情報