ベトベトへの道⑨

さてヒデー目にあった第5戦からアッというまに半年が立ち、2008年を向かえ第6戦への準備に
取り掛かりました。
第6戦では、一つの目論見がありました。前回できなかったシナリオです。
2008年はテト攻勢の行われた1968年から40年目という事でテト攻勢を再現するような
シナリオを用意したのですが、実験的にやってみたかのが“BB弾を撃たない”という事。

第5戦で脳内チヌークで全部隊を敵拠点まで運び、一気に攻撃したのですが
予想以上に圧巻で参加者からも好評でした。
ただ、一つ問題だったのが“危ない”という事。
映画の突撃シーンでおっかなびっくり突撃しませんから勢いよく突撃するのですが、
サバイバルゲーム的にバシバシ当てられたら洒落になりませんww
至近距離での打ち合いになってしまうので危険度を下げるのが次回の課題となっていました。

サバイバルゲームから派生しているイベントですから反対意見があるのは覚悟の上でした。
被弾して倒れるのは皆さん理解してもらえますが、被弾しないで(演技で)倒れると言う事を
参加する方達にどの程度理解して貰えるか判りませんでしたが、
『やらぬ後悔よりもやって反省』がモットーのベトベトですからやってみる事にしました。
これが第6戦から定着した最終突撃の特殊弾薬(空撃ち)の始まりです。

午前中は通常のゲーム進行を行い、午後にテト攻勢イベントを行いました。
前回同様、脳内チヌークで全部隊を敵拠点征圧のために送るが誤情報であり、
サイゴンの米大使館がNVA、NLFにより制圧される。
これを撃破し米大使館を奪還すると言うシナリオです。
(ベトベト地区への指示は誤情報が多いですが、戦争はクソ地獄なので誰のせいでもありませんw)

後ろのバラックに見えるのが米大使館ですww

本物はコッチですからかなりの想像力が必要ですが、
無いから出来ないと文句言って良いのは学生だけ、出来る方法を考えるのが社会人ですのでw
脳内越南物質をフル稼働させて貰いました。

モリ・ヤ地区は河川敷なので移動する米軍は丸見えでしたが、
北側の皆さんには目を閉じてもらいww 米軍の移動を終了させます。
準備が整ったところで特殊弾薬(空マガジン)を装填。一気呵成に突撃します。

写真だと写りきってないですが、100人以上の南側が突撃する様は圧巻でした。

初めての試みだったので演技上手な方々は早々に戦死して
大使館まで到達できないという誤算がありましたがw
無事、大使館を奪還してコンバットゲームは終了となりました。

後日、2ちゃんねるやベトベト掲示板で
空撃ち賛成派と反対派で喧々諤々の論争が巻き起こりましたが
実行委員会としては、普段のサバイバルゲームでできる事を
わざわざベトベトでやろうと思ってません。
ベトナム戦争を題材としたヒストリカルイベントですから雰囲気を再現する事が目的です。
細かい所に突っ込んだらキリがありません。中身は日本人なんですからww
アラ探しが趣味な人は、残念ですがヒストリカルゲームはつまらないと思います。

第10戦が初参加の方々、『戦争ゴッコとは死ぬことと見つけたり!』ですw
見事な散り様を見せて下さい。
ファンタジーの世界ですから脳内越南物質をフル稼働させて楽しんで下さい!  

2010年03月17日 Posted by ベトベト実行委員会  at 17:54Comments(0)TrackBack(0)ベトベトした裏話

ベトベトした忘年会

先日のヴィクトリーショーでは多数の方々にベトベトDVD
『Ho Chi Minh is DEAD』をお買い上げ頂きありがとうございました!
次回のVショーにも持って行きますので買い忘れた方は宜しくお願いします。
通信販売ベトベトショッピングでもお買い求め頂けます。
さて、その前日の土曜日にベトベトした忘年会をしてきました。

場所は勿論、四つ木のミリタリー・バー『ヘッドショット』
狂人一歩手前のベトベトした人達を温かく出迎えて頂きありがとうございましたw

店に入るなり着替えはじめてスミマセンww
店内にはACUを着た普通のミリタリーマニアのお客様もいらしたのですが
常軌を逸したベトベトマニアがご迷惑をかけなかったか心配ですw
店内のモニターをお借りして『Ho Chi Minh is DEAD』のプレミアム試写会を行ったのですが
普通のミリタリーマニアの方にも喜んで(驚いて)もらえたようで良かったですw
『ヘッドショット』に一本置いてきましたので興味のある方はマスターに見せてもらって下さいw

忘年会ではベトベト10への尽きない妄想話が繰り広げられ飲んで喰って騒いでと大変でした

未来銃で対空射撃をおこなう北の二人組w
MMCのメンバーの他にも悪徳将校のchi大佐、北ベトナム正規軍を率いるヴィン中尉、
コンクリートゲリラから太ったベトコンぽっちゃり美青年のホ~おじさんとマー君、
MPでも活躍してくれたSAITAMA101、カルビ村村長のボンちゃん、
ジハード団からボスさん(ミス・サイゴンと子供爆弾のお父さんw)、いつも捕虜になるLRRPの人
とベトベトした名優達が多数来て頂き第10戦に向けあーでもないこーでもないと
良い大人が一生懸命くだらない話をしていましたwww

この恐ろしい酒宴は場所を変え朝の4時まで続きました。
もちろん次の日の朝は元気一杯で都産貿に向かいましたとさw
また来年もやりますので皆さんも参加して下さい。
  

2009年12月17日 Posted by ベトベト実行委員会  at 03:16Comments(0)TrackBack(0)ベトベトした裏話

ベトベトへの道⑧

今回の台風も凄かったですが、台風と言えば忘れられないのが第5戦です。

ヒストリカル色を強めた第4戦も無事に終わりました。
2007年はナム戦イベントが多く4月にベトベト。6月にビレッジ1でリアルカウントNAM戦。
8月にアホカリ改めMVG2007が行われ、あっという間に10月のベトベトでした。
ベトベトも第4戦は第3戦でヒストリカル色を強めたので参加人数が減りましたが、
逆にサバゲ色を払拭したのが良かったのか、
第5戦の参戦表明は初の200人越えの202人!

2ヵ月おきにナム戦イベントが行われる好条件の中、準備も着々と進行しました。
第5戦ではシナリオを導入する予定でした。

そして当日を迎えましたが、神の怒りか台風が関東直撃するのです。
その前週にも台風がきており河川敷が水没していたのは確認していたのですが
土曜日に訪れると水は引いていましたが驚くほどの木くずが!
細かな枝がびっしり橋げたの下を覆い、通常駐車スペースに使っていた部分には
山のように積み上げられた枝で埋め尽くされています。
南側CPをおいていた橋げたの下は爆撃でもあったかのように
キレーに枝とゴミで覆いつくされています。
中に入ろうとすると底なし沼にようにゴミの中に吸い込まれる恐怖!
あきらめました…ww

米軍キャンプは普段開会式をおこなう土手に広げる事を決め、
とりあえず雨足も強くなってきたので
(土曜日の夜に関東上陸の予定でした)
前夜祭の準備に取り掛かりました。タープとテントで雨をしのごうと思っていたのですが
河川敷ですから風が強すぎます。

急きょ反対側の土手に周りましたが、風は弱まりません。
すると強風が吹き荒れ、カッタケさんのスチールのタープが飴のようにグニャリと曲がってしまいました…

自然の猛威に感嘆し、
橋げたの下にちょっとしたスペースを発見したのでそこをブルーシートで覆い、
安住の地を見つけました。やっと一安心し、キャンプ道具を広げます。
我々には安住の地ですが、傍から見ればホームレスに見えた事でしょうwww

仙台から来ているHTHCさんと合流し、台風の中やってきた草加支隊の方も加わり
どんどん強くなる雨と風の中、わざわざ台風の中でキチ〇イの宴は続くのでしたww
明日みんな来てくれるのか心配だったので
携帯から掲示板に大丈夫ですよと書き込もうと思い、
掲示板を除くと、相次ぐキャンセルが…。まぁ台風ですからねww
しかし!
台風だろうが雨だろうが関係ない強靭(狂人)な心を持った漢達は翌朝162名も集まるのでしたw

翌朝フィールドのチェックと北側本部の設営を行い、弾速測定と開会式を終えると、
参加者達は北と南へ判れていきました。
今までは橋げたの下でしたが、今回は100人超が有料道路から丸見えの土手にキャンプを広げてます。
分隊分けを行っていると北側にいるリーダーと顧問からひっきりなしに無線が入ります。
 「フィールドが川なんですけど」
『そんなの河川敷なんだから川にきまってるでしょ』
「いや、水が凄いんですよ」
『戦争だから仕方ないよww水くらいでビビんないでよ!』
「北側の本部まで行けないんですよ」
『だから水の中あるけばイイでしょ!また橋つくればいいじゃん!』
「橋作るってレベルじゃねーぞ!」

前にも水浸しになった事があるのでこの時は
どうせ膝くらいまで水があるから文句言ってるんだろう位にしか思ってませんでした。
しかし自体は深刻でしたwwww


普段使っていたフィールドは完全に水没。
朝設置した北側本部は見事に水に飲まれ、
用意しておいた赤ちゃんの人形も流されてしまいましたwww

どうやら本部を設置して開会式をやっていた2時間の間に利根川の上流で放水したようです。
考えていたシナリオも下のフィールドで考えていたのでまさに水泡と帰してしまいましたww

しかし、そんな事を確認する暇もなく第3の刺客が…

国家権力が通報によってご到着されましたww
まだ分隊分けして作戦を始めようかと思っているクソ忙しい時に来るんですから
タイミング悪すぎます。
右翼が訓練してると通報があったそうですが、暇な人もいるもんですねww
「あー何?サバゲ?」
『いえ、ベトナム戦争です』
「ベトナム戦争?」
『ベトナム戦争は北ベトナムと南ベトナムの内戦に1965年にアメリカが介入する事によって
拡大し、以後10年間にわたる戦争の事です』
と丁寧にベトナム戦争を説明差し上げると、狂人を見るかのような目つきで
「怪我とか火事に気を付けてね」
と言って国家権力様は立ち去られましたww

やっと戦闘を始められましたw
とりあえずシナリオもクソもなくなってしまったのでサーチ&デストロイで進行させます。

第5戦に導入したのがヘリルール。と言っても電車ごっこの要領で紐でくくるだけですけどw
本当はLZ(ランディングゾーン)を確立したら着陸できる予定でしたが、
LZを作る場所も定かでないので基本的に置き去りww
数々の部隊がヘリが着陸するのを待った待ち伏せでベトナムの土となってしまいました…

しかし、北側を驚愕させたのがラストの最終突撃。
着々と上がる水位にビビり普段より1時間早く最終突撃に持ち込んだのですが
時間短縮の為、チヌーク4台に乗り込ませた米軍100名以上を一気に北側陣地に送り込みましたw

南側から見てても圧巻でした
『突撃!』の合図とともに一気呵成になだれ込みます。

まさに蹂躙!レ〇プ!

と、台風&水没&国家権力とトラブル続きでしたが、無事に怪我もなく終了しました。
でも、開始時刻があと1時間早かったら2、3人は水に流されてたかも知れませんwww

自然の猛威には勝てないんですね。
今回の台風18号の被害に遭われた方にお見舞いを申し上げます。

さて、台風一過!連休は秋晴れが続くそうですから安心して遊び尽くしましょう!
それでは10日、11日はベトナムでお会いしましょう!!  

2009年10月08日 Posted by ベトベト実行委員会  at 15:16Comments(2)TrackBack(0)ベトベトした裏話

ベトベトへの道⑦

ベトベト3戦が終わり、年末恒例のネズミっ子だらけのお泊り会が終わって
年を越したらベトベト4戦でした。
ベトベトへの道⑥を書いていて思い出したのですがベトベト3戦で参加者が急に増えたのは
コンバットマガジンとアームズマガジンが掲載してくれたからでしたw
続くベトベト4戦では158名の参加者を迎えて行いました。
第4戦は2007年4月22日に行ったのですが、4月7日に三島軍曹こと
三島Bobroskie瑞穂氏がお亡くなりになりました。
ここを読んでいる方に三島軍曹をご存知ない方はあまりいないと思うのですが
ヴェトナム戦争米軍軍装ガイド の翻訳やアホカリにも来て頂いた元アメリカ陸軍曹長、米特殊作戦陸軍グリーンベレーに所属していた猛者でした。

開会式でバドワイザーで献杯しようと思ったのですが、車で来る人に主催者から
お酒出すのもどうかと思いやりませんでしたが、前夜祭では故人を偲び飲み明かしました。

ベトベトは戦争なので雨天決行なのですが
たしか第4戦の当日は降水確率60%!
降るかな~と思っていたのですが夜まで降らなかったです。
ここからベトベトは雨降らない伝説が続くのですww
雨は降りませんでしたがすっごい!強風でしたw
河川敷なのでモロに風の影響を受けるのでBB弾はコブラのサイコガンのように曲がってましたww

やっとヒストリカルゲームっぽくなってきたのが第4戦だと思います。
第3戦から南側は分隊毎の作戦行動をお願いしていたのですが
第4戦からは北側も分隊行動(北はすげーざっくりですがw)をお願いして行いました。

昼飯喰ってる時に襲撃されたり

死体は腐らないように石灰まいたり

第4戦でちょっと頑張ったのが農村の再現。
再現って言ってもホントに茅葺の家なんて建てられる訳ないですが
前回まで一つだった村をもう一つ増やしてサンチュ村と名づけました。
なんでカルビ村といい焼肉の名前なのか由来は判りませんw

毎回、守谷のジョイフル本田で備品を購入してたのですが、この時買ったのは鍬と大きな藁の束ww
必要な備品は皆で頭割りにしていたのでメンバーから総ブーイングを喰らいましたが、
僕の脳内の農村には必需品だったのですww

前日は何故かみんなで畑を耕し、そこら辺の雑草を植えて畑を作りました(翌日にはしおれてましたがww)
撃ちあいだけではなく、シュプレヒコールなどベトナム戦争の雰囲気を参加者の皆さんが工夫して演出していました。
今では定着しつつあるヴィン中尉とLRRPが捕虜になるシチュエーションですがたしか第4戦からだと思います。
この時捕虜となったLRRPの隊員は米軍が救出が遅れ一時間近く縛られていましたwww

最後は今ではお約束の最終突撃ですが、第4戦では良く見えるようにという理由で
南側のキャンプでもある橋げたの下で行う予定でした。
しかし、一つ問題が。
何故か、四駆がフィールド内に入ってきて本部テントの裏でバーベキューを始めたのです。
わざわざ、ゲームやってる所に来なくても良さそうなものですが、出てけ!とも言えませんから
やんわりと「今、ゲームやってるんで」と伝えると
『あ、大丈夫、大丈夫。ウチらもサバゲやるし当たっても文句言わないから』
と言うので夕方までには出て行くだろうと思っていましたが
出て行きませんw
しかたがないのでそのまま最終突撃を行う事にしましたw
さすがに襲撃される予定の本部テントの裏は危ないので、本部テントを移動して北側にGOサインを出します。
笛の音と共に突撃する北側、激しく撃ち込む南側。
爆弾を抱えて突撃する人まで現れ、橋げたの下はあっと言うまに死屍累々。

バーベキューしてた人はポカーンとしてましたwwww
サバゲじゃ人がいる所に突っ込むなんてしませんからね。
本部にいた数名でサバゲやってるのかと思ったら200人近い人間がゾロゾロ出てきて驚いた様子でしたw

さて、1ヶ月を切ったベトベト9!申込みがまだの方は早めに登録して下さいね!  

2009年09月16日 Posted by ベトベト実行委員会  at 17:36Comments(0)TrackBack(0)ベトベトした裏話

ベトベトへの道⑥

さて、共催チームを失ったベトベト実行委員会ですが、
第二戦の閉会式で「次回の開催は2006年10月22日です」と宣言してますので
早速第3戦に向けてミーティングを行いました。
スタッフの人数がちょっと心配でしたが、
BCの崩壊もありMMCは駅長、書記長、ニヒルを加え9名に増えており、
チームSさんも手伝ってくれるので15,6人はスタッフが確保できていました。
そう言えば第3戦から当時在籍していた会社の後輩だった付き人がカメラマンとして参加してます。
閉会式で記念写真を撮る顔のデカイ、カメラマンです。
全くナム戦に興味がなかったのですが「カメラの勉強だよ」と言って引きずり込みましたw

サバゲ、サバゲうるさい人が手を引いた事もあり、大幅にヒストリカル方面への軌道修正を試みます。
第2戦からの変更点は
・分隊毎の作戦行動
・無線での作戦指示
・ネタ(シナリオ)の導入
でした。他にもリアルカウントや持ち弾制限、死体の運搬など後に具体化する案件も出ていましたが
いきなりやると面倒なので取りあえず第3戦では上記3点を変更する事になりました。

ベトベトもやっとナム戦愛好家に市民権を得たのか参加者は一気に膨れ上がり
申し込み総数は、50名増の187名が参加する事になりました。
ビビッたのは駐車を担当するアオザイ兄弟です。
前回でもかなり土手沿いに長く駐車したのでかなり詰めないと両端の人が恐ろしい距離を歩く羽目になります。
そこら辺は駐車のプロ。アオザイ兄弟にお任せしましたが、
守谷は土手の道を一般車輌も通る上、北と南で駐車位置を橋から左右に分けていましたので
当日の朝はスタッフ間で怒号が飛び交い、すっごい雰囲気が悪くなるのが常でした。
これは有料フィールドを借りる第8戦まで続きますww

前日はドギーズさん、MEZZOさんも前夜祭に参加して40人くらいで酒盛りをしたと思います。
前回の失態があるので12時を回ると監督に回収され無理矢理寝かされましたwww

明けて当日、緑青臭くて緑色の人達が集まってきます。
正確に覚えていませんが、トモエさん、ドギーズさん、MEZZOさん、SBIさん、獺さん、病さん、ジハード団さん
RVNSさん、HTHCさん、SSGAさん、F中隊さん、オナペッツさん、珈琲ウォッカさん、単4電池さん、義勇軍さん、
その他個人参加の皆さんと、第3戦には今ではベトベトオールスターズと言っても過言ではない
殆ど皆勤賞で参加してくれているチームが揃っていました。

第3戦ではヒストリカルゲームらしくするためシナリオを導入しました。
シナリオと言っても史実に基づいた作戦を再現するには無理がありますので
映画『プラトーン』からネタを頂戴して村の虐殺シーンとラストシーンの陣地攻撃シーンを行う事にしました。

今では有名になったカルビ村も第3戦から登場します。
LRRPと第4歩兵師団がVC容疑のある村の探索中に敵の攻撃を受け、農民もろとも虐殺してしまうと言うシナリオを
午前中に行おうと思っていたのですが、メガネ大尉率いる第4歩兵師団が動きませんwww
しかたないのでLRRPと急遽第25師団を向かわせ作戦を続行しますが、戦争って大変だな~とこの時思いましたw

午後はLZの防衛を全部隊に命じますが、ベトコンと北ベトナム軍の攻撃により白兵戦を余儀なくされ
空爆(爆竹)によって終了しました。
後ろに見えるビニール紐はランディングゾーンの残骸です。

参加者も各自ネタを持参し盛り上がってました。でも一番盛り上がったのは閉会式で本国に帰る兵隊を見送る
ラーの姿でしたwwwww

ベトベトへの道⑦へ続く  

2009年08月20日 Posted by ベトベト実行委員会  at 16:16Comments(2)TrackBack(0)ベトベトした裏話

ベトベトへの道⑤

一応、成功した『ベトベトしま戦か?』第一戦。気を良くした実行委員会は早くも次回開催を決定します。
第一戦はY氏のサバイバルゲームチームBCが主催するゲームと同じ第一週だったのですが、
Y氏が主催ゲームを潰すわけにはいかないと言い出したので4月の第三週
2006年4月23日に決定しました。

第二戦に向けて作戦会議を行いました。会議といってもY氏と2人だけですがww
コスプレしたサバイバルゲームとしては良かったのですが、まだまだヒストリカルイベントとは程遠いものでした
メディックルールはありましたが、もう少しヒストリカルに近づけたいとY氏と相談していていました。
元来がサバイバルゲーマーのY氏としてはコスプレしてサバイバルゲームするだけで十分でしたし、
私もまだどうすればヒストリカルゲームに近づけられるのかが判らず、毎週のようにあーじゃないこーじゃないと
話していました。

この頃MMCには、北のヤクザとして有名な『監督』 前回から解放戦線を仕切った笑う殺人鬼『顧問』。
アオザイ兄弟のキャンディーで有名な『リーダー』 ベトベトにはあまり参加できない『いたる君』
監督との怪しい取引から入部した『ボス』 これに『キャプテン』こと私が加わりが全員で6人でした。
クラブハノイのママこと『駅長』はまだBCのメンバーでMMCに入部するのはもう少し先の話でした。

MMCは私が元々加入していたサバイバルゲームチーム『LM』とY氏のチーム『BC』のゲームに参加していました。監督とはLMで知り合った仲です。
『LM』の代表はベトベトにも遊びに来てくれて良好な関係を保っていると思っていたのですが
ある日、LMの代表から電話が…
「実は、サケスキーさん達を一時、謹慎にしたいんです。理由は2ちゃんで騒がれてるからチームに迷惑をかけたって事で」
前年のアホカリでの騒ぎは数ヶ月たってもミナミーネズミだのなんだの叩かれていたのですが、
サバゲチームのLMがその内容を直接わかる訳も無く、いわゆる“ソースは2ちゃん”で謹慎と言う事に
監督と顧問は激怒。私も10年来のチームからそんな事を言われるとは思ってませんでしたので
落胆とともにLMから脱退する事になりました。
後にLMのメンバーから聞くとMMCの名前が大きくなり、主催イベントまで始めた事を快く思ってなかったようですが、
肝っ玉の小さな人間だな~と思いましたww

そんなこんなでサバゲの主戦場はBCだけになったのですが、4月になりBCのゲームの週にMMCはベトベトの現地調査の為に
ゲーム会を休みました。
そのゲーム会で悲劇が起こっていたようです。主催チームなのにメンバーが2人しか集まらなかったらしく
落胆したY氏から電話がありましたが、なんとかなだめてベトベトへと繋ぎました。そして第三週になりベトベト当日。
前回同様にMMCは前日から準備の為に現地入りしましたが、BCのメンバーはY氏しか現れません。
当日くるとの事でしたので、責める訳でもなく翌日の為の作業をして夜は酒盛りです。

第二戦からは同行の士が集まりちょっとした前夜祭が行われるようになっていました。
差し入れにキジの肉と赤ワインを頂き、日ごろのウップンを晴らすかのように飲みまくった私はいつの間にか記憶を失い
後の証言によるとワインをボトルごと一気に飲み干し一人で騒いでいたそうですwwww

開けて翌日、ご想像通り二日酔いで動けませんww
でも作業がありますので、死にそうになりながら働かされました。
お手伝いをお願いしていたチームSさんは集合しましたが、BCのメンバーは一向に集まりません。
バツの悪そうな顔でY氏が「ゴメン!うちのチーム全員欠席だって」
なんと主催スタッフが大幅に欠席する事態に…

まぁこればかりは仕方がないのでMMCとチームSだけでスタッフ業務を行うことになりました。
作業時にトランシーバーのインカムを付けていたのですが時折、「レロレロレロ~」と吐しゃ物の音が。
未だにメンバー全員が私だと思っているようですが、名誉のために言わせて頂くとY氏ですwww

参加者も集まり、弾速測定も終わり開会式を始めようかと思っていましたが
折からの二日酔いで意識がもうろうとしますww
なんとか開会式だけはやろうと気力を振り絞りメガフォンのスイッチを入れました
「それではこれから閉会式を始めます!」
自分の中では開会式と言ったつもりなのですが、気持ち的には終わりたかったようですwwww
開会式を終えた私は力尽きゲーム開始と同時に土手で倒れました。
後から聞いたところによると「死んでるのかと思った」そうです…その節はご迷惑をお掛けしました…

昼ぐらいには回復しましたがホント死ぬかと思いました。飲み過ぎには注意したいですね(・∀・)イイコトイッタ!!

当日のゲームは第二戦と言う事もありまだ、参加者もスタッフも手探り状態です。
今では北正規軍の大将、ヴィン中尉も南側で報道カメラマンで参加しています。

今では阿吽の呼吸で繰り出されるネタもまだ二戦目ではさほど出ません。
珍しい私のブラックパジャマ姿w

第一戦と同じように本部フラッグを守るルールでしたのでサバゲ的展開で自由に遊ぶ感じでした。
まだベトベトと言う海の物とも山の物とも判らないイベントをどう楽しんで良いのか主催側も
参加する側も掴めずにいた感じです。人数は第一戦より少し増えて130名くらいでベトベトして遊びました。

そんなこんなで、とりあえず第二戦も無事に終了しました。
この時に駅長、監督とY氏が話しをして駅長はMMCに円満移籍という形になったのですが
数日後、Y氏から電話が…
「やっぱりBCは解散する事にしたから。ベトベトは後ヨロシク」
メンバーがゲーム会にも主催イベントにも出席しない事に業を煮やしたY氏は
まるで段ボール中学生の親父のように突然の解散宣言を出したのでした!

ベトベトへの道⑥へ続く  

2009年07月29日 Posted by ベトベト実行委員会  at 17:40Comments(4)TrackBack(0)ベトベトした裏話

ヒストリカルの楽しみ方①


ヒストリカルと一言に言っても何をするのか難しいですよね。
装備や銃器などは資料やネットで調べて揃える事は簡単です。
金さえ積めば全くベトナム戦争に興味がなくてもSEALやLDNNの装備だって揃ってしまいます。
しかし、お金では身に付かない物があります。
それは1000ミリ望遠のような目…もそうですが経験と即興です。

軍隊と言うのは完全な縦社会で命令と規律によって動く組織ですから、陸軍の場合だけでも
アメリカ合衆国大統領→国防長官→統合参謀本部→陸軍参謀総長→…とばして…軍団長→師団長→大隊長→中隊長→小隊長→分隊長→班長→兵士→新兵
と指示命令系統が続きます。
何かに似てますよね。そうです会社の役職と同じです。
株主→社長→専務→部長→係長→課長→主任→社員→新入社員…と指示命令系統があるはずです。

皆さんにも経験があると思いますが、簡単な仕事しか任されない新人や上司からの理解できない命令、上に挟まれ下から突き上げられる中間管理職…
と当てはまる部分が沢山あると思います。
総務と営業の戦い、制作と営業の確執なども海兵隊と陸軍、南べ軍とアメリカ軍のように当てはめると面白いと思います。
『踊る大走査線』でも所轄と本庁、現場とキャリアの確執が描かれていますが、そのままヒストリカルに応用する事ができると思います。
恐らく8割以上の方が企業に属した経験はおありでしょうから、そんな風に当てはめるとより、リアリティーが増すのではないでしょうか。

「オレ参加してるだけだし、役者じゃねーから」と人生を斜め上から見ている人もたまにいますが、きっと実社会でも浮いてしまっているのでしょうww
ひねくれるのであれば“ひねくれた兵士”を演じてくれれば良いのです。
(全員でひねくれられると作戦に支障が生じますが…ww)
つまり実社会での経験を活かす事がヒストリカルを楽しむ第一歩だと思います。  

2009年07月20日 Posted by ベトベト実行委員会  at 16:21Comments(3)TrackBack(0)ベトベトした裏話

ベトベトへの道④

いよいよ2005年10月2日。ベトベト第1戦の日を迎えました。
当日は6時に集合してミーティングを行い、スタッフ一同気合いを入れて臨みます。
会場までの道のりが複雑なので大通りのローソンから会場までの角々に道案内スタッフをたて
私は参加者に挨拶をする意味もあり、ローソンで参加申込表を配りに行きました。
恐らく最後の参加者が出発したので道案内スタッフに撤収をつげ、現地に向かいます。


現地では阿鼻叫喚の駐車案内が行われていましたww
イベント運営が初めてのスタッフにプラスし初めての場所。しかも駐車場所は河川敷の道端ですから大混乱。
南も北も関係なく駐車させたりと大変でした。
駐車が大変ならば弾速測定も大変です。主催ゲーム経験はありますが、せいぜい20~30人ですから100人を超える参加者
の前ではなす術もありませんww
しかもチーム単位で来て下さいと言ってもバラバラできますから大混乱w
なんとか予定時間をすこし押して開会式にこぎつけました。

今ではオスカー俳優ばりのデモ演技を繰り広げるデモ部隊ですが、初陣はみな緊張でガチガチw
お遊戯会ばりのデモに場内は大爆笑。
思えばベトベトしま戦か?という訳の判らないイベントに集まって頂いた方々はこのデモを見て
イベントの方向性を確信したのではないでしょうかwww

第一戦はメディックと両陣地の旗で復活ができるルールでした。弾数制限も分隊行動もなくCPからの指令もない
ノンストップのサバイバルゲームでしたから始まってしまえば特にやる事はありません。
次から次へと差し入れらるビールを飲み、出店者の方々と南側の旗を取られるのを見て笑っていましたww

そろそろ昼だなと言う頃に北側の陣地から爆音が聞こえてきました。
南側陣地からもフィールド内をバイクが走り回っている音が聞こえます。何事!と思っていると無線で
「なんかオフロードの人達が責任者呼べって言うんだけど…」
北側にはY氏がいるんだから対応しろよ!と思いましたが北側陣地にダッシュで向かいます。

ベトベトのフィールドはもともとオフロードのコースがあり(勝手に作っているので本来は違法行為)
何度か現地作業に訪れていても遭遇しなかったのでそのまま当日を迎えていました。

北側陣地では我が物顔でオフロードを乗り回す集団が。まるで暴走族に乗り込まれた進学高校のような状況でしたww
参加者が休憩しているところに泥をかけ乗り回します。
腕でもあてて警察呼んでやろうかと思いわざとコースを塞ぐと転びかけた人は一睨みして去って行きました。 
すると責任者と思われる数名がこちらに向かってきます。

手にはカマを持ち臨戦態勢で近づいてきます。まるで現地民にヤリで脅されるウィラードの心境ですww
実は、一時使用許可を受諾していてもその場所を封鎖する事はできないんです。
どんな人でも通行や参加できる事が条件なんです。(オフロードは別だと思うんですけどねw)

いきり立ったオジサンは鎌を手に出てけ!と脅しをかけます。
「お前らが武装してるから鎌もってるんだ!今日は大会なんだからお前らが出てけ!」と譲りません。
どうやら日本が法治国家だという事を知らないようなので譲渡して段差の上の部分はオフロードに明け渡し、
下には入らないと友好条約を締結し続行する事になりました。
後で参加者に聞いたところ匍匐していた真横を走られたりしたそうなので危なかったです…。

10月とは思えない30度近い暑さで参加者もスタッフも死にそうでしたが、怪我もなく
無事、第一戦は終了しました。

ベトベトへの道⑤へ続く  

2009年07月18日 Posted by ベトベト実行委員会  at 14:59Comments(0)TrackBack(0)ベトベトした裏話

ライト感覚って…


これはライト兄弟ですねww

ベトベトしま戦か?には“ライト感覚ベトナム戦争ヒストリカルイベント”という副題を付けています。
このライト感覚という意味を“適当な装備で参加できるサバゲの延長”と勘違いされる方が多いのでちょっとご説明します。

そもそもベトベトのスタートはアホカリに行くのを躊躇しているような人でも参加できるように敷居を低くしましょう。と言うのが始まりです。
アホカリでは広大な本栖のフィールド、全国から集まる500人以上の参加者、何台ものトラックや火薬を使ったコンバットアトラクションと企業主体ではないとできない規模です。

それに比べ当初のベトベトはイベント経験者なし、フィールドは河川敷、スタッフ10名、予算なし、必要経費はメンバーの頭割りとないないづくしで始めてますから堂々とヒストリカルイベントです!と謳う勇気はありませんでした。
ですのでヒストリカルイベントの入り口としてベトベトに参加できるようにライト感覚という副題を付けました。
これはアホカリや他のリエナクトイベントに対して謙遜も込めてライト感覚ですよ。という意味なんです。

ライト感覚=初心者向けという意味ではありません。ヒストリカルイベントに初心者もベテランもないと思うんですよね。最低限の装備は揃える事が参加の義務なんですから。
基本的な装備さえしっかりしていれば、初めてなのか8回目なのかは見分けが付きません。
グーグル先生に「ベトナム戦争+装備」と打てば無限のサイトが、ネット環境がなくても装備の本、歴史の本なんて腐るほどありますから、ちょっと調べれば判る筈です。
逆に装備はきちんとしているのに平気でヒットコール連発したり、恐ろしい程連射して敵を壊滅させたりするほうがヒストリカル的には困ります。
極論ですが59タイガーの上しか無ければトランクス一丁で裸足のほうが南べっぽいですからww

ようは知識なんですよね。サバイバルゲームではなくヒストリカル(歴史再現)ですから当時の知識がなければ楽しめる訳がありません。
ベトベトは特定の年代に設定を定めていません。
例えば1/1の会さんが主催した『ペガサス作戦』というイベントがありました。
これは1967年のペガサス作戦に基づいたイベントですから南側は海兵隊と南ベレンジャーしか参加できないという縛りがありました。

ベトベトは1963年から75年までならなんでもOKですから初めて参加する人でも装備考証ばっちりなら特殊部隊でもAチームでもなんでも良いのです。
まぁ特殊部隊には過酷な任務、Aチームには核爆弾とブラジャーの仕入れをお願いする事になりますがww

基本的な装備さえ揃えていて(ベトコンなら私服でも…)基本的なベトナム戦争の歴史の知識さえあれば
初めてヒストリカルゲームに参加する方でもどっぷりとベトナム戦争ヒストリカルイベントの世界に浸る事ができると思います。
これは主催者の力ではなくヒストリカルの世界を創り上げられる出演者(参加者)の方々の力です。
実際、前回一番活躍した人を挙げるならばベトコンのゲリラ役をやった子供だと思いますwww

つまり『ベトベトしま戦か?』で言うライト感覚とは“誰でも参加できる開かれたイベント”ですが“誰でも参加できる適当なイベント”でないと言う事です。  

2009年07月16日 Posted by ベトベト実行委員会  at 00:00Comments(0)TrackBack(0)ベトベトした裏話

ベトベトへの道③

開催地として選んだのは利根川河川敷の大利根陸橋の真下です。
能天気なY氏は「本栖ハイランド借りようよ」などと言っていましたが、そんな所借りれる訳もありませんww
20~30人ならゲリラ的に開催しても問題なさそうですが、一応無料とは言えイベントですので届け出を出そうと思ったのですが
まず地番が判らないんですよね。河川敷に番地なんてありませんから電話で喋ってもらちがあかないので
守谷市役所に行って地図を見せてもらい地番を確認した後に国土交通省利根川上流河川事務所守谷出張所(長い名前ですねww)へ。
結構、知らない人が多いのですが河川には占用許可の他に一時使用許可というものがあり不営利目的(キャンプ等)なら誰でも借りる事ができるのです。
自由探索という名目(散歩など)は許可がいりませんから普通の小規模のサバイバルゲームはこちらに当たる訳です。
細かな条件はありますがクリアすれば問題なく借りる事ができます。今はサバイバルゲームはダメですけどねwww
『具体的に何やるんですか?』
「ベトナム戦争当時の格好で戦闘再現を行うんです」
『あ~サバゲですね』
「いえ、サバゲではありません。歴史再現です。」
『じゃあ弾は撃たないんですね』
「はい(実弾は)撃ちません」
とこんなトンチキな会話でサバイバルゲームと言うと面倒くさいので『歴史的戦闘再現イベント(ベトナム戦争)』という名目で一時使用許可を許諾しました。
※後に書きますが、08年10月に利根川河川敷ではサバイバルゲームは一切禁止になりました。

アホカリ効果なのかビラの効果なのか判りませんが、参加応募は続々と集まり120名を超えました。
後は天気だけが心配でした。しかし天気の心配よりも恐ろしい出来事が待っていたのです…

ベトベトへの道④へ続く

  

2009年07月14日 Posted by ベトベト実行委員会  at 03:35Comments(0)TrackBack(0)ベトベトした裏話

ベトベトへの道②

第1戦のビラを作り同じデザインでサイトもアップしました。
有名なグエン・ゴク・ロアン長官の射殺シーンを使ったのですが、Y氏は「こんなの大丈夫?」と言っていましたww
とりあえず最初なので60人くらい集まれば良いね~的な感じで進めていったのですが、
一応、主要ショップには告知しようと思い、渋谷のファントム、サムズミリタリア、ECHIGOYA、レイジーキャット、
フロンティア91、中田商店、には頼んでビラを置かせてもらいました。
ちょうどブラックホールが開催されたので主催のレオパルドの社長さんにビラ置かせて下さいと頼んだら
「ふ~ん。ウチは関係ないですね」
とあっさり断られレオパルドはベトナム戦争とは全く関係がないという事が判り勉強になりましたwww

8月になりMMCはアホカリへ参戦する為の準備に追われていました。
個人個人では参加した事がありますがチームとしては初めてでした。メンバーに装備を徹底させたりして、現地では友好チームと合流し17名で南ベトナム海兵隊として参加しました。
別に南べが珍しい訳ではありませんが(2002年のアホカリでは南べ独自で基地をつくり櫓まで建てています)南べタイガーなので目立ったようです。
目立つのを良い事にベトベトのビラを開場中をくまなく配りまくりました。

夜になるとショーが始まり、隅のほうで大人しくしていました。
お約束のMPと一般部隊の衝突があるので初参加のメンバーが多いMMCは邪魔にならないように隅にいくように
メンバーに指示をだしていたのですが、一向に衝突する気配がみられません。
衝突がないとMPは立ってるだけですので最前列にいたMMCは均衡を破りステージ目掛けて突っ込んで行きました。
もちろん、お約束ですので本気でぶつかる訳ではありません。突っ込む前にMPとも目配せをして突入するのです。

と、適当に暴れたところでお腹も空いたのでキャンプに戻り、酒盛りを始めました。
しかし、その頃ステージでは大問題が勃発していたのです。
加減をしらない輩達がMPに本気でぶつかり、あろうことか怪我までさせる事態に。しかもステージに設置してあったスピーカーを倒し逃走したようです。
もちろん、ショーはその場で中止になりステージは閉鎖したようですが、そんな事は露知らずMMCは呑気に飲んだくれていました。
翌日のコンバットゲームでは天候にも恵まれ(最後に雨は降りましたが…)満足して本栖を後にします。
しかし、数日後MMCは2ちゃんねるで全国的に有名になってしまうのでした…悪い意味でww

スピーカーを倒し、MPに怪我をさせた張本人に仕立て上げられてしまったのです。
たしかに目立ちますし、最初に衝突をはじめたのはMMCですが、事故の起きた時点ではステージ周辺にはいませんでした。
しかし、噂が噂を乱立させる2ちゃんねるですから
ミナミーネズミはアホカリを潰すために来ただのベトベトの為にわざとやっただのと叩かれ驚きました。
違った意味でベトベトとミナミーネズミの名前は知れ渡ってしまうのですが、これがベトベトに影響しなければ良いなと10月の第1戦まで心配でした。

ベトベトへの道③へ続く  

2009年07月12日 Posted by ベトベト実行委員会  at 18:21Comments(2)TrackBack(0)ベトベトした裏話

ベトベトへの道①

『ベトベトしま戦か?』
我ながらふざけたタイトルですが、別に最初からふざけて付けた訳ではありませんww

ベトベトを企画したのは2005年の5月の事でした。
それまでベトナム戦争ヒストリカルイベントと言うと、本栖で行われる『アホカリプス』(現在もMVGとして続行中です)
三郷で行われていた『RECON戦』
おなじく三郷で行われていた『NAMっぽいのが好き♪』『北ゲッチュ』がありました。

私もナム戦ゲームに参加する一参加者でした。
ミッキーマウスクラブとしてサバイバルゲームチームの定例会に参加したり、ナム戦イベントに参加したりする程度。
当時、定例会を行っていたBCというチームがありました。Y氏と言う人がリーダーだったのですが、
そのY氏からある日電話がかかって来ました。
「ちょっと相談があるんだけど」
珍しく真剣な顔のY氏と二人でお茶する事になりました。

「NAMっぽが無くなるらしいんだ…」
ナム戦ゲーム『NAMっぽいの好き♪』を主催していたチームが次回開催を止める旨をY氏に伝えてきたそうです。
そこでY氏にNAMっぽを代わりに主催してくれないかと打診が、あったとの事。
手伝ってくれないかと言われましたが、ミッキーマウスクラブは当時4名www BCと併せても10名弱。
果たしてイベント運営ができるか不安でしたが、ノリノリのY氏が大丈夫!大丈夫!と言うので手伝う程度ならと、協力を約束しました。
NAMっぽを継続する手段もありましたが、その頃NAM戦ゲームを主催する人達の複雑な人間関係に巻き込まれるのも迷惑なので、新しいナム戦イベントとして運営していく事になりました。
Y氏は格好良い名前を挙げるのですが、あまり格好つけるのも嫌なのでちょっとふざけた名前を考えていました

「ナム戦って言うけどベト戦って言わないですよね?」
『関西ではベト戦っていうみたいだよ』
「じゃあ『ベトちゃんナムちゃん』はどうですか?」
『論理的に問題があるでしょ』
「じゃあ『ベト戦しようぜ!』はどうですか?」
『ベトってベトちゃんドクちゃんのイメージがあるからそこから離れない?』
「じゃあ『ベトベトしようぜ!』なら良いんじゃないですか?」
『なんかベトベトって風俗的な匂いがしない?それにしようぜ!って上から目線だよね』
「じゃあ『ベトベトしま戦か?』なら遜ってて良いんじゃないですか?」
『なんか風俗的な匂いがするけどまぁ良いか』
と、こんな会話でベトベトしま戦か?はスタートする事になりました。

基本的なルールもその時話あったのですが、本来サバイバルゲーマーのY氏はサバイバルゲームと同じルールで良いんじゃないと言っていました。
基本的にサバイバルゲームの時間制ゲームとは違いヒストリカルゲームではノンストップで行うので復活しないと一度死んでしまったら終わってしまいます。
アホカリでは死ぬと本部に戻って待機→分隊ごとに復活。NAMっぽではノートに記入してシールを銃に貼って復活
という流れだったのですが、同じルールを使うのもアレなのでメディックを用意して復活できるルールにしました。
記憶があいまいで第2戦からメディックルールを導入したのかと思っていましたが、第1戦の写真にメディック章をつけた写真がありましたw

とりあえず、イベント名、基本的なルールが決まったのでサイト制作とビラを作って宣伝活動に勤しむのでした。

ベトベトへの道②へ続く  

2009年07月12日 Posted by ベトベト実行委員会  at 15:56Comments(0)TrackBack(0)ベトベトした裏話

初めましてベトベト


『ベトベトしま戦か?』は次回で9回目を迎えるベトナム戦争ヒストリカルゲームです。
このブログでは参加している方は“よりベトベトを楽しんで頂けるよう”
参加した事の無い方には“少しでもベトナム戦争ヒストリカルゲームに興味を持ってもらえる”
ような内容を書いていきたいと思っています。

まず、ヒストリカルゲームとは何ぞや?と思われる方もいらっしゃると思いますが、
簡単に言えば“大人の戦争ごっこ”です。
サバイバルゲームが勝敗やゲーム性を重視するのに対し
ヒストリカルゲームは特定の時代の設定をし、可能な限り当時の雰囲気を再現する事を重視した遊びです。
映画のワンシーンや当時の写真を再現するといえばイメージしやすいでしょうか。

日本のベトナム戦争のヒストリカルイベントというと本栖ハイランドで行われていた『アホカリプス』が有名です。
全国から500人以上のマニアが集結しリビングヒストリーと言われる当時の軍製品のみを使用する本格的なキャンプや
実際に戦闘車両も導入されるイベントです。(現在はMVGと名前を変え続行中です。)
『ベトベトしま戦か?』はアホカリに参加するのをためらっているような初心者でも参加できるライト感覚ベトナム戦争ヒストリカルイベントとして企画したイベントです。

前回では実際にDVDとして『ベトベトしま戦か?‐国を越えた友情‐』としてベトベトしま戦か?の模様をドキュメンタリー的に
制作しました。参加して皆さんは、どこに自分が映っているか探すのも楽しいと思いますw

次回第9戦は平成21年10月10日11日に開催致します。
初めての方でも楽しめる事は間違いありませんので是非参加してみて下さい。

  

2009年07月12日 Posted by ベトベト実行委員会  at 05:38Comments(2)TrackBack(0)ベトベトした裏話