黙祷について考える
ベトベトしま戦か?では開会式で全ての戦争及び紛争での戦死者、犠牲者に対し黙祷を捧げます。
ポーズだと思われている方もいると思うのですが、
ベトベトの一つの目標として終わった後に「戦争って嫌だな」と思ってほしいのです。

戦争ゴッコやってるのに何言ってんだ?と思われるかも知れませんが、
ベトナム戦争の歴史や装備を勉強しているからこそ、戦争の悲惨さを理解できると思います。
戦闘シーンを見て格好良い!と思うのは男性なら誰でも一度は思う事でしょう。
戦争映画やテレビ、ゲームなど格好良い戦闘シーンは憧れます。
サバイバルゲームなどでも激しい戦闘が無ければ退屈に感じるでしょう。
しかし、ワントリガーで200発以上の弾が撃てる銃を持ち、当っても血も出ず死ぬ事もなく、
仲間が撃たれても何の感情もなく、1ゲームが終了すれば全てリセットできる。
そこには現実味がありません。
ベトナム戦争では戦闘によって命を落としたのは
1961年以降の戦死者数
アメリカ:戦死56、096人、戦傷303、457人、行方不明1、743人、捕虜587人
南ベトナム:戦死220、357人、戦傷726、576人
北ベトナム:戦死911、499人、戦傷不明
南北民間人:死亡103万人、負傷300万人以上
ベトナム人の総死亡数は、約210万人以上。当時のベトナムの総人口が約4200万人ですから
20人に1人が死に、5人に1人は負傷している計算です。
ベトナム戦争中に落とされた爆弾の量はベトナム人6人に1トンにあたる程です。
休みたくても休憩もなく、ヒルに喰われながら何十キロもの荷物を持たされ、雨の中泥だらけで眠り、
どこから来るか判らない敵に脅え、一緒に行動していた仲間が仕掛け罠で足ふっ飛ばされ、
助けに行ったはずの国民に殺される。
ベトナム戦争に32万人を派兵したアメリカでも57万人もの徴兵逃れをした若者がいますが、
ベトナムに生まれれば逃げる訳にはいきません。
その時代、その場所に生まれてしまったら自分の意識とは無関係に戦争に巻き込まれてしまうのです。

生れた時から戦火に晒され、北に行っても南に行っても搾取され続け、
12年間で200回以上のクーデターに脅え、先祖から受け継いだ土地から強制的に移動されたり、
親兄弟が別れて殺しあう…
そんな事を喜んでやる人はいないと思います。
頭の中では戦争は嫌な物と理解しているでしょうが
何故、戦争と言う名のもとに公然と殺し合いが認められたのか、
どんな気持ちで人を撃つのか、目の前で仲間が殺されたらどう思うのか、
そんな事を考えもせず「戦争反対」と言うのは簡単です。

今でも世界中のどこかで戦争や紛争は絶えず行われ、
善悪の区別もつかない年端もいかない子供までもが
銃や爆弾を持ち命を奪ったり奪われたりしています。
ヒストリカルイベントだからこそ嫌な部分を疑似体験する事により、
戦争って嫌なものだと少しでも理解できればと思っています。
何の因果かベトナム戦争に興味を持ち、軍装を集め、
戦争の疑似体験にわざわざ泊りがけで集まっても
カッコいい!面白い!楽しい!だけではテレビゲームと同じです。
参加して楽しんで貰いたいですが、楽しむ以上に
戦争における辛さ、虚しさ、悲しさ、死、そして生きる喜びを感じられるイベントにするのが目標です。
勿論、その欠片ほどしか感じる事はできないと思いますが、欠片ほどでも
戦争の嫌な部分を“疑似”体験し戦争行為の愚かさを少しでも理解する為、
二度と同じ過ちを繰り返さないよう、紛争、戦争での犠牲者に追悼と敬意を表し、
今の日本が平和である事を感謝するイベントにできればとの想いで黙祷を捧げています。
ポーズだと思われている方もいると思うのですが、
ベトベトの一つの目標として終わった後に「戦争って嫌だな」と思ってほしいのです。
戦争ゴッコやってるのに何言ってんだ?と思われるかも知れませんが、
ベトナム戦争の歴史や装備を勉強しているからこそ、戦争の悲惨さを理解できると思います。
戦闘シーンを見て格好良い!と思うのは男性なら誰でも一度は思う事でしょう。
戦争映画やテレビ、ゲームなど格好良い戦闘シーンは憧れます。
サバイバルゲームなどでも激しい戦闘が無ければ退屈に感じるでしょう。
しかし、ワントリガーで200発以上の弾が撃てる銃を持ち、当っても血も出ず死ぬ事もなく、
仲間が撃たれても何の感情もなく、1ゲームが終了すれば全てリセットできる。
そこには現実味がありません。
ベトナム戦争では戦闘によって命を落としたのは
1961年以降の戦死者数
アメリカ:戦死56、096人、戦傷303、457人、行方不明1、743人、捕虜587人
南ベトナム:戦死220、357人、戦傷726、576人
北ベトナム:戦死911、499人、戦傷不明
南北民間人:死亡103万人、負傷300万人以上
ベトナム人の総死亡数は、約210万人以上。当時のベトナムの総人口が約4200万人ですから
20人に1人が死に、5人に1人は負傷している計算です。
ベトナム戦争中に落とされた爆弾の量はベトナム人6人に1トンにあたる程です。
休みたくても休憩もなく、ヒルに喰われながら何十キロもの荷物を持たされ、雨の中泥だらけで眠り、
どこから来るか判らない敵に脅え、一緒に行動していた仲間が仕掛け罠で足ふっ飛ばされ、
助けに行ったはずの国民に殺される。
ベトナム戦争に32万人を派兵したアメリカでも57万人もの徴兵逃れをした若者がいますが、
ベトナムに生まれれば逃げる訳にはいきません。
その時代、その場所に生まれてしまったら自分の意識とは無関係に戦争に巻き込まれてしまうのです。

生れた時から戦火に晒され、北に行っても南に行っても搾取され続け、
12年間で200回以上のクーデターに脅え、先祖から受け継いだ土地から強制的に移動されたり、
親兄弟が別れて殺しあう…
そんな事を喜んでやる人はいないと思います。
頭の中では戦争は嫌な物と理解しているでしょうが
何故、戦争と言う名のもとに公然と殺し合いが認められたのか、
どんな気持ちで人を撃つのか、目の前で仲間が殺されたらどう思うのか、
そんな事を考えもせず「戦争反対」と言うのは簡単です。

今でも世界中のどこかで戦争や紛争は絶えず行われ、
善悪の区別もつかない年端もいかない子供までもが
銃や爆弾を持ち命を奪ったり奪われたりしています。
ヒストリカルイベントだからこそ嫌な部分を疑似体験する事により、
戦争って嫌なものだと少しでも理解できればと思っています。
何の因果かベトナム戦争に興味を持ち、軍装を集め、
戦争の疑似体験にわざわざ泊りがけで集まっても
カッコいい!面白い!楽しい!だけではテレビゲームと同じです。
参加して楽しんで貰いたいですが、楽しむ以上に
戦争における辛さ、虚しさ、悲しさ、死、そして生きる喜びを感じられるイベントにするのが目標です。
勿論、その欠片ほどしか感じる事はできないと思いますが、欠片ほどでも
戦争の嫌な部分を“疑似”体験し戦争行為の愚かさを少しでも理解する為、
二度と同じ過ちを繰り返さないよう、紛争、戦争での犠牲者に追悼と敬意を表し、
今の日本が平和である事を感謝するイベントにできればとの想いで黙祷を捧げています。
ベトナムに平和を!

実はベトベトは女性の参加者も多いのですが、基本的に米軍の戦闘部隊に女性はいません。
(ベトベトでは男らしければOKですがww)
ベトナム人なら基本的に南でも北でも大丈夫なのですが、
重い装備や鉄ヘルを被るのがイヤっ!という女性に人気なのがやはり北ベトナム&ヴェトコン。
NVAとVCでは女性でもガンガン前線に出て行って戦闘しますから史実的にもバッチリです。

北ベトナムでは戦意高揚の為に女性兵士の活躍を誇張して伝えたりしたそうです。
切手にもなった有名な写真です。

ここまで書いてて思い出したのですが、母の昔のアルバムをペラペラと眺めてました。
なんかモデルみたいな格好して気取ってる写真もあったりして母も女だったんだな~と思っていると
飛び込んで来たのはベトコンの写真!
いや、ベトコンのコスプレしている母の写真ではありませんか…
「何してんだ?」
と聞くと学園祭で反戦の劇をやった時の写真だそうですww
時は60年代末、全共闘と学生運動で盛り上がっていた時代ですからね
なんでもべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の集会に行ったり、あげくバリケード封鎖を見に行って
「催涙弾を打ち込まれて走って逃げたわ~催涙弾にはレモンが効くから、あんたも催涙弾打ち込まれたらレモン塗りなさい」
…今の催涙弾にはレモン効かないし、打ち込まれたら困るからっ!
皆さんもお父さんお母さんに70年頃の話を聞くと衝撃的な話が聞けるかもしれません!
「実はお父さん革マル派だったんだ…」なんて告白が聞けた方は聞かなかった事にして下さいw
って事でベトベトに参加する女性の皆さん!
前回、男性から大好評だったアオザイコンテストは第二回を開催致します!
是非ふるってご参加…というか見掛けたらステージへ強制連行しますので心の準備だけしておいて下さいw
ブラックパジャマは敵では無い。
ブラックパジャマ=ヴェトコンと思っている方も多いと思いますがブラックパジャマと言うのは農民の作業着ですから日本で考えれば
ニッカポッカを履いているを見たら撃ち殺すような考えですw
サバイバルゲームでもコンピューターゲームでも
“敵”というのはこちらから認識しやすいですよね。
サバイバルゲームではマーカーを付けて敵味方の認識をしやすくします。
でも、実際の戦争で、ワザワザ判りやすい格好をするでしょうか。
例えば日本が攻められたと仮定して、ゲリラ的に敵を攻撃する場合、自衛隊の格好なんてしないですよね。
スーツや私服の方が攻撃する時も気づかれないでしょうし、逃げる時も便利です。
ただし、捕まった時には正規の兵隊ではありませんから、ジュネーブ条約における人道的な捕虜の扱いは受けませんがw
ベトナム戦争時、アメリカ、南ベトナムが頭を悩ませたのが南ベトナム解放民族戦線。
いわゆるヴェトコン(越共)ですが、南ベトナム解放民族戦線はその名のとおり“南ベトナムに住んでいる民族が
傀儡政権から南ベトナムを解放する為の戦線”ですから、敵と判る格好をしている訳ではありません。
市民(農民)の中に紛れ政府を転覆しようと考えている組織です。
南ベトナム解放民族戦線は南ベトナムの民衆から高い支持を受けており食料の援助などを受けゲリラ戦を続けていました。
女、子供は南ベトナム解放民族戦線を支持するため、そこら中にブービートラップ(仕掛け罠)を仕掛けるのですから
どっちが敵でどっちが味方か判りません。
しかも助けに行った南ベトナム政府は腐敗し、賄賂、横流しが横行していました。
米軍が供与した弾薬や武器がその日のうちに共産勢力地区に運ばれ、その武器で南ベ軍、米軍が襲われる事もザラでした。
腐敗っぷりは戦後、政府要職に南ベトナム解放民族戦線の秘密メンバーがいた事も明らかにされた程です。
そんな南ベトナム政府も敵は北ベトナムだけではありません。
もちろん南ベトナム解放民族戦線による攻撃とテロ。
野党、仏教勢力による抗議デモと暴動。
政権内反対派や軍閥によるクーデター。
カオダイ教やホアハオ教などの新興宗教、カトリック私兵によるテロ。
とまさに四面楚歌状態。
そんな中で戦争してるんですからアメリカ政府はもちろん現地で戦ってる兵士は混乱します。
軍の内部でも気に入らない上官を誤爆のふりをして殺害するフラッギング(Fragging)が横行し
フラッギングにより死亡した士官はは判明している限りで230名ですから、恐ろしい限りです。
そんな混沌とした戦場でも交戦規定(Rules of Engagement ROE)があります。
ようは戦闘する際のルールですね。
17度線、タイ、カンボジア領内を超えての戦闘は勿論禁止。
北爆時でさえソ連、中国の直接介入を恐れ、ソ連、中国の関連施設は爆撃できなかったのですから
何で戦争してるのか判らない兵隊さんが大勢いたと思います。
地上戦も殆どの戦闘は南ベトナム国内で行われていましたから
「あ!敵だ。撃て!」と言う戦闘にはなってない訳です。
農民なのかと思って安心していたら攻撃されたケースの方が多いんです。
ベトベトにも一応交戦規定があります。
怪しい農民を発見したり、攻撃を受けた事をCPに報告してから攻撃許可が下ります。
なのでブラックパジャマを着ているからといって無闇に撃ったりすると分隊長から怒られます。
アメリカ軍は南ベトナム解放民族戦線のゲリラ的な戦いに日々脅えていました。
枯れ草が揺れても発砲する兵士が後を絶たなかったそうです。
敵かもと言う疑心暗鬼でつい発砲してしまったケースも多く、
実際に何の罪もない民間人が虐殺された例が多々あります。
有名なのがソンミ(ミ・ライ)村事件です。
小隊長は南ベトナム解放民族戦線と戦闘を行ったと虚偽の報告をしましたが、後に発覚し
単なる農村を攻撃し、農民504名を殺害し、247戸の家屋が燃やされ、数千頭の家畜が殺されました事件です。
『プラトーン』の村を襲うシーンもソンミ村がモチーフです。
戦場での兵士の心理は想像でしか判りませんが、「そんな状況ならどうするだろう?」
と言う事を考えるのもヒストリカルの面白さだと思います。
R&R!

『R&R』 最近、永ちゃんがCMで叫んでいますが、“Rock and roll”ではなく“Rest & Recuperation” 。慰労休暇です。
ちなみに『プラトーン』で「ロッケンロー」と叫ぶシーンがありますが、これも“Rock and roll”ではなく “Lock and load”(安全装置解除、装填)です。
日本人はRとLの発音が同じになってしまうらしいので気を付けましょうw
夏休み真っ盛り。今週はお盆休みの方も多いと思います。
ベトナムに派兵されていた兵隊達は海外勤務という事で半年に一度5日間の休みを貰えました。

既婚者はハワイで家族と会え、独身者はベトナム国内はニャチャン、サイゴン、国外はバンコク、マニラ、香港、沖縄で休暇を取る事ができました。
独身者に特に人気が高かったのがバンコクだったそうです。
有名なのがゴーゴーバー

『ディアハンター』でも出てくるカウンターの上で女の子が腰をクネクネさせているバーです。
1968年には5件だったゴーゴーバーが1970年には100件を超え、アメリカ軍兵士がR&Rの為にタイに落とした金額は
2,000万ドルだったそうですから戦争特需どころか物凄いバブルが訪れた事でしょう。
ベトナム戦争終結後に金を落としてくれたのは日本人ビジネスマンだそうですから
やっぱり日本人もベトナム戦争には少なからず関与している訳ですねw
ベトベトでゴーゴーバーを出店したいという奇特な方がいらっしゃいましたら是非、ご一報下さい。
電気と水道はありますので一等地をご用意致しますww
残念ながら日本にはゴーゴーバーのようなお店は少なく、六本木などに金髪(ロシア系)のパブはありますが
やっぱりアジア系じゃないと雰囲気がでませんから、お勧めのお店があったら教えて下さい。
ちなみに歌舞伎町のギラギラガールズは日本人の女の子ですが面白いですよww
それでは楽しい夏休みをお過ごし下さい!
ワルキューレとクーデター
ワルキューレと言われるとベトナム戦争ファンが一番先に思い浮かべるのは『地獄の黙示録』だと思いますが

先日DVDが発売されたばかりのトム・クルーズ主演映画『ワルキューレ』
ヒトラー政権下のドイツでヒトラー暗殺を謀り政権の転覆を狙う話なのですが、クーデターと言われれば
黙っていないのがベトナム共和国。

南ベトナムと言われる国ですが正式名称はベトナム共和国ですので覚えて下さい。ちなみに北ベトナムはベトナム民主共和国。現在はベトナム社会主義共和国です。
1945年、日本の降伏により一時的に空白になった時期を狙いベトミン(ベトナム独立同盟)はベトナム民主共和国として
独立しようと試みますが、再度植民地化を狙うフランスにより都市部から追われます。
フランスは香港に亡命していた阮朝最後の皇帝バオ・ダイ帝を引きずり出します

1948年にベトナムの諸勢力とフランスが折衝した結果、同年5月27日に暫定政府としてベトナム臨時中央政府が成立させます。
その後、バオ・ダイは1949年3月にフランス・ベトナム協定を締結し、同年6月14日に正式なベトナム国が成立しました。
しかし、第一次インドシナ戦争でベトナムをあきらめたフランスが撤退すると後ろ盾をなくしたバオ・ダイ帝を
首相であるゴ・ディン・ジェムがアメリカの後ろ盾を使い国民投票で退任に追い込みます。(国民投票と言ってもこの選挙はねつ造されたものとされています)

1955年ジェムは国名をベトナム共和国と改め親族を政府要職に就かせ、反政府分子を厳しく弾圧する恐怖政治を展開します。
熱心なカトリック信者でもあったジェムは仏教徒を弾圧しこれに反発した僧侶の焼身自殺に対し
ジェムの弟、ヌーの夫人であるチャン・レ・スアンことマダム・ヌーの「坊主がバーベキューになっただけじゃない」発言により
国内はもとより国際的にも問題となったためアメリカはジェムを見捨てます。
1963年11月、アメリカ政府の黙認のもとCIAの全面的支援を受けたズオン・ヴァン・ミン(楊文明)を首班とした軍事政権が成立します。

親米的なズオン・ヴァン・ミンの軍事政権はアメリカ政府に歓迎されましたが、南ベトナム解放民族戦線との戦闘には注力せず、南ベトナム軍内部の離反を招きます。
1964年1月30日、南ベトナムでサイゴン政権内の軍人政治家グエン・カーン将軍による軍事クーデターが起き、1964年8月16日、将軍が大統領に就任、ズオン・ヴァン・ミンは隣国のタイ王国へと追放されます。
(ズオン・ヴァン・ミンは1968年に帰国、しかしグエン・ヴァン・チュー政権を支持せず、北ベトナム政府及び南ベトナム解放民族戦線に対しては強硬姿勢をとらない穏健派勢力として活動を続けます)

グエン・カーンは1963年ジェム政権打倒クーデターに参加。64年1月には実権を握るため再度クーデターを起こし新政府を発足。
アメリカはグエン・カーン大統領を全面支援したが、安定せずアメリカの信任を得られず解放戦線側寄りの可能性を示唆、若手将校によるクーデターで追放されます。

※グエン・カーンは現在アメリカ、カリフォルニアに本拠地を置く反共亡命政府組織『自由ベトナム政府』の政府元首を務め元気に政治活動をしています。御年82歳のお姿です。
グエン・カーン政権下の1965年2月クーデター勃発、南ベトナム軍の実力者、グエン・ヴァン・チュー(阮文紹)が政権を握りますが、当初は国家評議会議長であるファン・カク・スーが

軍部による暫定指導委員会の指名によって国家元首を務めます。
民政移管を目指しますが、カトリックと仏教徒の間に起こった宗教対立から政情が不安定化。事態の収拾がつかなくなったファンは6月14日に国家評議会議長を辞任、
後事をグエン・カオ・キやグエン・バン・チューの主導する軍部にぶん投げます。

グエン・ヴァン・チューの大統領正式就任は1967年9月3日選挙(全投票数38%得票獲得)でその間約2年で13回!
ものクーデターが発生しますが全て掌握します。
グエン・カーンが大統領に就任するまで国家元首の肩書がベトナム共和国革命軍事委員会委員長だったり
ベトナム共和国指導者だったりベトナム共和国暫定指導委員会委員だったり
終いには暫定指導者委員会などと言って三人が国家元首だった時期もあり今の日本の総理大臣以上にコロコロと首がすげ替えられる不安定な国家だった訳です。
当時大統領の任期は4年でしたが、チュー大統領は2期務める安定した人気を誇りました。
副大統領には過激な発言で悪名を馳せた南ベトナム空軍司令官、元首相の軍人政治家グエン・カオ・キが就任し血の弾圧を繰り返す恐怖政治を行いました。

※谷村新司 ではありませんw
チュー大統領は1971年10月3日選挙で90%超の信任票で再選、キ副大統領は同1971年8月21日不出馬表明、副大統領を退陣する。
その後1975年4月南ベトナムにクーデターが起き4月21日グエン・ヴァン・チュー大統領はアメリカを非難する激怒の演説を行い大統領辞任、副大統領のチャン・ヴァン・フォンに政権を譲ります。

チャン・ヴァン・フォン大統領は北ベトナムと停戦交渉、北ベトナムはこれを拒否。これにビビったフォン大統領は就任8日で辞任、アメリカに亡命します。
そしてズオン・ヴァン・ミンが再び大統領に就任します。
ズオン・ヴァン・ミンは “ビックミン”と呼ばれ中道右派の立場をとりアメリカにより警戒され政局から離れていたが、
1975年4月28日南ベトナム最後の臨時大統領に就任し、4月30日午前ラジオによる無条件降伏の宣言を行います。
1963年から1975年まで大小合わせると200以上のクーデターが起きていたそうですから
いかにベトナム共和国が不安定だったかが判りますねwww
資料によっては順番が違ったり間に違う人がいたりしますが、正確な歴史をご存じの方がいらっしゃいましたらご一報下さい。

先日DVDが発売されたばかりのトム・クルーズ主演映画『ワルキューレ』
ヒトラー政権下のドイツでヒトラー暗殺を謀り政権の転覆を狙う話なのですが、クーデターと言われれば
黙っていないのがベトナム共和国。

南ベトナムと言われる国ですが正式名称はベトナム共和国ですので覚えて下さい。ちなみに北ベトナムはベトナム民主共和国。現在はベトナム社会主義共和国です。
1945年、日本の降伏により一時的に空白になった時期を狙いベトミン(ベトナム独立同盟)はベトナム民主共和国として
独立しようと試みますが、再度植民地化を狙うフランスにより都市部から追われます。
フランスは香港に亡命していた阮朝最後の皇帝バオ・ダイ帝を引きずり出します

1948年にベトナムの諸勢力とフランスが折衝した結果、同年5月27日に暫定政府としてベトナム臨時中央政府が成立させます。
その後、バオ・ダイは1949年3月にフランス・ベトナム協定を締結し、同年6月14日に正式なベトナム国が成立しました。
しかし、第一次インドシナ戦争でベトナムをあきらめたフランスが撤退すると後ろ盾をなくしたバオ・ダイ帝を
首相であるゴ・ディン・ジェムがアメリカの後ろ盾を使い国民投票で退任に追い込みます。(国民投票と言ってもこの選挙はねつ造されたものとされています)

1955年ジェムは国名をベトナム共和国と改め親族を政府要職に就かせ、反政府分子を厳しく弾圧する恐怖政治を展開します。
熱心なカトリック信者でもあったジェムは仏教徒を弾圧しこれに反発した僧侶の焼身自殺に対し
ジェムの弟、ヌーの夫人であるチャン・レ・スアンことマダム・ヌーの「坊主がバーベキューになっただけじゃない」発言により
国内はもとより国際的にも問題となったためアメリカはジェムを見捨てます。
1963年11月、アメリカ政府の黙認のもとCIAの全面的支援を受けたズオン・ヴァン・ミン(楊文明)

親米的なズオン・ヴァン・ミンの軍事政権はアメリカ政府に歓迎されましたが、南ベトナム解放民族戦線との戦闘には注力せず、南ベトナム軍内部の離反を招きます。
1964年1月30日、南ベトナムでサイゴン政権内の軍人政治家グエン・カーン将軍
(ズオン・ヴァン・ミンは1968年に帰国、しかしグエン・ヴァン・チュー政権を支持せず、北ベトナム政府及び南ベトナム解放民族戦線に対しては強硬姿勢をとらない穏健派勢力として活動を続けます)

グエン・カーンは1963年ジェム政権打倒クーデターに参加。64年1月には実権を握るため再度クーデターを起こし新政府を発足。
アメリカはグエン・カーン大統領を全面支援したが、安定せずアメリカの信任を得られず解放戦線側寄りの可能性を示唆、若手将校によるクーデターで追放されます。

※グエン・カーンは現在アメリカ、カリフォルニアに本拠地を置く反共亡命政府組織『自由ベトナム政府』の政府元首を務め元気に政治活動をしています。御年82歳のお姿です。
グエン・カーン政権下の1965年2月クーデター勃発、南ベトナム軍の実力者、グエン・ヴァン・チュー(阮文紹)

軍部による暫定指導委員会の指名によって国家元首を務めます。
民政移管を目指しますが、カトリックと仏教徒の間に起こった宗教対立から政情が不安定化。事態の収拾がつかなくなったファンは6月14日に国家評議会議長を辞任、
後事をグエン・カオ・キやグエン・バン・チューの主導する軍部にぶん投げます。

グエン・ヴァン・チューの大統領正式就任は1967年9月3日選挙(全投票数38%得票獲得)でその間約2年で13回!
ものクーデターが発生しますが全て掌握します。
グエン・カーンが大統領に就任するまで国家元首の肩書がベトナム共和国革命軍事委員会委員長だったり
ベトナム共和国指導者だったりベトナム共和国暫定指導委員会委員だったり
終いには暫定指導者委員会などと言って三人が国家元首だった時期もあり今の日本の総理大臣以上にコロコロと首がすげ替えられる不安定な国家だった訳です。
当時大統領の任期は4年でしたが、チュー大統領は2期務める安定した人気を誇りました。
副大統領には過激な発言で悪名を馳せた南ベトナム空軍司令官、元首相の軍人政治家グエン・カオ・キ

※谷村新司 ではありませんw
チュー大統領は1971年10月3日選挙で90%超の信任票で再選、キ副大統領は同1971年8月21日不出馬表明、副大統領を退陣する。
その後1975年4月南ベトナムにクーデターが起き4月21日グエン・ヴァン・チュー大統領はアメリカを非難する激怒の演説を行い大統領辞任、副大統領のチャン・ヴァン・フォン

チャン・ヴァン・フォン大統領は北ベトナムと停戦交渉、北ベトナムはこれを拒否。これにビビったフォン大統領は就任8日で辞任、アメリカに亡命します。
そしてズオン・ヴァン・ミンが再び大統領に就任します。
ズオン・ヴァン・ミンは “ビックミン”と呼ばれ中道右派の立場をとりアメリカにより警戒され政局から離れていたが、
1975年4月28日南ベトナム最後の臨時大統領に就任し、4月30日午前ラジオによる無条件降伏の宣言を行います。
1963年から1975年まで大小合わせると200以上のクーデターが起きていたそうですから
いかにベトナム共和国が不安定だったかが判りますねwww
資料によっては順番が違ったり間に違う人がいたりしますが、正確な歴史をご存じの方がいらっしゃいましたらご一報下さい。

